panda life

白も黒もどちらも私。20代専業主婦の育児、生活、漫画と本の話。

同期に会いに行って学んだこと

今日は遠出、娘と共にヘルプに行ってきました。

結果的には、私の方が人生相談させてもらって、すっきりした気持ちでの帰宅になりました。

会えて本当に良かった!

自分の置かれた状況やもやもやポイント、オブラートに包まず、ストレートに話せたことで、あぁこれでいいんだな、と自分の結果に納得できました。


私がおかしいの?
私の器が小さいの?


子育て歴2年半の私は、やっぱり先輩ママさんの理解できない行動にあれこれ言えない。

でも、

「こんなの絶対おかしいよ!」



ってつっこみたくなることがたくさんあって、むきーっとなるんです。


それを相談できる人がなかなかいなかったけれど、今日はそういう話も昇華できました。


自分のやりたいこと、仕事を通して自分がやりたいことって何だろう?

どんな思いでやってみようか?

どんな人と出会って、一緒に活動していきたいのか。


もっと素直に出していっても良いんだなぁと気づかされました。

会うたびに、学びの収穫が多い同期がたくさんいて、第2の社会人生活、まだ始まっていないけれど楽しいです。


ひとりっこである自分の子どもに、異年齢の仲間を作りたい。

産後に自分が助けてもらった恩返しをしたい。子どもにやらせる習い事ではなく、親子で楽しんでもらえる時間と空間を提供したい。

子どもにも楽しんでもらいたいけれど、子どものお楽しみ時間が、大人の息抜きや癒しになって欲しい。

私は、わりと、大人を意識した思いを持っていました。


なかなか、この人!というお母さんを見つけられない今日この頃。

同期と会えて本当に良かった。

おうちに「パン工場」を作りたい!

アンパンマンを作ってみたい。

 

私の密かな夢。

自家製の天然酵母とあんこで、ふっくらほっぺとお鼻が付いているアンパンマンを、

自宅のオーブンで焼きたい。

 

天然酵母の液は、先週から良くできているのだけれど、種おこしがうまくいかない。

ピザ生地のようなペラっと薄いものなら問題ないのだけれど、イメージはふっくらとしたオーソドックスなまんまるのアンパン。

イーストと比べて、発酵の状態もあまり良くないし、生地がべちょっと手にはりつくので成型も難しい。

そして、時間もかかる。たぶん、1日ではなく、2~3日かけるつもりでじっくり取り組まなくてはいけないのだろう。

待ちきれなくて、ついつい蓋を開け、いじってしまう。

 

あんこはとしおの担当だ。年末にとしおが作った自家製のあんことぜんざいがかなりおいしかったので、としおに任せれば完璧、と思いきや、あれは奇跡だったようだ。

あんこづくりもかなり難しい。

 

アンパンマンをドヤ顔で公開できる日には、もう娘はアンパンマンを卒業しているかもしれない。でも、私はやりたい。

 

パン作りの名人になる。ジョークのように聞こえるだろうが、本気で実現させたい事のひとつ。

 

 

さて、先日、「自己犠牲では他人を幸せにできない」と私は述べたのだけれど、

アンパンマンの生き方は、しばしば「自己犠牲の精神」と表現されている。

 

yu-andmi-104.hatenablog.com

 

お腹を空かせている人を見つければ、躊躇わず顔をちぎって食べさせる。

顔が欠けていくことによって、自分自身の力は弱くなっていくけれど、みんなに喜んでもらえて心はほかほかです、と言いながら、いつも笑顔でパトロールするアンパンマン

 

そんなアンパンマンを、アンパンマンの生き様を、みんなはどう思うのだろう?

 

私は、彼の生き方を、自己犠牲とは思わない。真の自己犠牲ではないからこそ、みんなに愛されるヒーローになれるのだと思う。

 

なぜなら、アンパンマンは、ジャムおじさんというパン作りの名人によって生かされているからだ。

本来なら有限であるはずの「パン」なのに、ジャムおじさんが新しい顔を焼いてくれるから、何度でも顔を捧げ、困っている人を助けることができるのだ。

 

アンパンマンは、ジャムおじさんのことを心から信頼し、自分の命をジャムおじさんに委ねている。そして、ジャムおじさんには、優秀な助手バタコとめいけんチーズがいる。

みんなが揃って初めて、アンパンマンによる人助けと、ばいきんまん退治が成立しているのだ。

だから、アンパンマンの顔が一時的に欠けたり汚れたりすることはあっても、アンパンマン自身は、自己犠牲の精神では生きていないと思う。

人助けを可能にしてくれるジャムおじさんに感謝して、喜んでいる人の顔を見て幸せな気持ちになっているアンパンマンは、人を頼るのがとても上手だ。

 

アンパンマンの世界では、ひとりひとりに役割がきちんとあって、みんな必要な存在なのだ。

だからこそ、アンパンマンひとりが良いとこ取りすることなく、それぞれのキャラクターが感謝し、感謝される関係になっている。

 

 

みんな大好き!アンパンマンのフェルトマスコット (Heart Warming Life Series)

みんな大好き!アンパンマンのフェルトマスコット (Heart Warming Life Series)

 

 

最近は、ばいきんまんが昔ほど悪さをしなくなったし、他のキャラクターもあんまりばいきんまんを悪者扱いしなくなったなぁと感じている。

 

アンパンマンをやっつけるためには、ジャムおじさんを捕まえて、新しい顔を作れなくすれば良いと、昔のばいきんまんはかなり鋭いところを突いて、アンパンマンに闘いを挑んでいたのに。

同時に、アンパンマンを倒すという目標を達成してしまったら、自分はその後どうするんだろう?という疑問まで頭に浮かんでいたりして。

 

時代とともにキャラクターも少しずつ変わっているけれど、パン工場のなかはいつでもほっかほかで、私はジャムおじさんが大好きだ。

 

みんなで助け合いながらパンを焼いて、出来立てを笑顔で食べる、パン工場のような家を作りたい。

 

 

マンツーマンで話し合うと相手の良さが見えてくることがわかったという話

まだ無給の身ですが、一仕事終えるとホッとします。

やっと少し眠れるかな?読みたい小説もたまってきたし、読書に没頭したい。

 

英語の教室開設に向けて、体験会などをやっているのですが、私も、一緒に研修を受けた同期も、ある同じ壁にぶつかっています。

 

それは、

 

自分たち1組だけなら体験を受けたくない

 

と言われ、断られてしまうこと。

 

私はちっとも共感できないのですが、こんな理由で、出会う前から断られてしまうのです。

同期も問い合わせをくれた方からこんな心配をされてしまったと連絡をくれて、その不安を解消すべく、私と娘が参戦することになっています。

 

興味があるなら、1回行ってみて気に入らなければあっさり断れば良いのに。

「友達誘って一緒に来れば?」と言っても、友達誘って来ようとはしないんですよね。

 

体験を受けに来てもらうことが想像以上に難しい。

 

そういう点において、私は2回も同じ方に来てもらうことができて、ラッキーだったのかもしれない。入会にはつながらなかったけれど、会いに来てくれること自体が非常にありがたいのです。

 

親子1組と私と娘という組み合わせ。

複数でやるのも楽しいですが、母親1:1もなかなか良いものです。

 

複数人で集まったときより、お互いのことがよくわかります。

 

どんな思いで普段子育てしているの?

自分自身の将来の目標や夢、子どもに対する願いはある?

 

英語、絵本、教育という分野に限定せず、柔軟にじっくりお話していると、

不思議なことに、その人の長所が見えてきます。

欠点や不快感ではなく、良いところを発見しやすくなるのです。

 

 

同じような思いで集まって、グループをつくって動いていると、

みんな同じ指針で動いているようにしか見えなくて、その中でちょっと嫌だなぁと思うことが発生すると、その中にいる人みんなに対して不快感を抱いてしまうことがあります。

 

でも、その中にいる人、ひとりひとりと話してみると、実はみんな違う気持ちを持っていて、その違いが「素敵」だなぁと思う要素だと気づきます。

 

その違いに気づいて、みんなでそれを尊重し合えば、きっとより良いものが作れる。

 

 

ひとりひとりの思いに込められた「良さ」を大切にしながら教室をつくっていきたい。

ひとりひとりとじっくり出会って、対話して、一緒にやりましょうと声をかけたい。

新しい目標が見つかった1日でした。

 

 

今日の夜食は、セブンイレブンの「ティラミスもこ」

もこってなんだ?と思いつつ、ティラミス好きだし、シュークリームっぽくて美味しそう!と購入。

 

一仕事した後は、こんな風に食べたいものを堪能します。

 

おいしかった!もちもちした皮とほろ苦く甘いクリームが、疲れた身体を癒してくれました。

 

 

自分の英語教室が、通わないと絶対後悔するとはまだ言えないけれど、

 

何にせよ、興味があるなら行ってみたほうが良いと思う。

 

友達誘ったって良いし、誘える友達がいない人なら、どうせ知らない人が一緒だって大して喋れないんだから、ひとりで行って先生と仲良くしてもらえば良いんだよ。

 

誰か他にいるならやるけど~っていう姿勢の人間に対して、それを受ける立場の人間が気分を害さず待っていられるかって言ったら、私は無理なタイプで、ひとりでも来てくれる人の方が、ずっと感謝されるし、可愛がられるんだよ。

 

というのが私の本音。

 

 

 

ドキンちゃんの生き方について思うことを述べてみる

ドキンちゃん役の声優、鶴ひろみさんの訃報をさっき聞いて、非常にショックを受けながらこのブログを書いている。

今、娘は隣でアンパンマンを見ているのだけれど、アンパンマンばいきんまんと同じだけ当たり前だったドキンちゃんの声、30年近く聞き慣れた声が聞けなくなってしまうと思うと、心が痛い。


最高にわがままで、自分勝手で、ナルシストだけれど、恥ずかしがり屋なところがかわいいドキンちゃん

敵キャラなのに、なぜか子どもたちに大人気なキャラクター。

そのドキンちゃんのキャラソンをご存知だろうか。




お金がたくさんあるのがいい

おいしいものが食べたい

毎日遊んで暮らしたい

惨めな暮らしは大嫌い

おしゃれもしたい


誰もが持っているけれど口にはしない欲望をストレート過ぎることばで表現しているこの歌はなかなかの名曲だと思う。

ほんと、その通りだよね、って共感せずにはいられないはずなのに、実際その欲望を言語化する人なんていないし、そもそも何でもかんでも自分の思い通りにはならないって、たいていの人間はある程度諦めているから、欲望のひとつひとつを意識していない。

しかも、その欲望を自分で満たそうとはせず、ばいきんまんにすべてやってもらおうとする。
すごいと思うのは、ばいきんまんドキンちゃんに逆らうことなく、素直に命令に従うところ。

己の欲望のために、他人を動かせるという能力は才能だ。

でも、恋愛に関しては、自分で頑張っちゃう。
ドキンちゃん本人ではなく、ドキ子になって、思いを伝えるシャイっぷり。

しょくぱんまんって、ドキンちゃんのことどう思っているんだろう?
ばいきんまんと同じ敵というポジションにいて、性格だって決して良いとは言えない。

ドキンちゃんは、たぶん、そういう自分のポジションをよくわかっている。
自分のことを世界で1番かわいいと思う一方で、しょくぱんまんと敵対する立場であること、
そんな自分がしょくぱんまんと結ばれる可能性は高くないということを知っている。

だから、「ドキ子」にならなければ、しょくぱんまんの前に出られない。
「永遠の片思い」を楽しむ姿は、ちょっとだけ切ない。


ドキンちゃんみたいになりたいとは思わないし、ドキンちゃんの生き方は、そのセンスがなければ真似できない。

でも、素直過ぎて、わがままで、でも、そんな自分の欠点を実はよくわかっていて、自信満々なようで実際はそうでもない、強さと弱さの両方を兼ね備え、上手に見せている彼女は、器用な生き方をしていると思う。



以前、こんな記事を書いた。

yu-andmi-104.hatenablog.com


欠点をいっぱい持っていても、自分でそれを自覚し、ひとりではどうにもできないことをわかっていたら、
他人を上手に頼ることができるようになるし、それによって肩の力が抜け、楽しく生きられるようになる。


ドキンちゃんがかわいいと思えるようになれば、経験値1UP。

鶴ひろみさんのご冥福をお祈りいたします。

クリスマス商戦に乗せられる前に、贈り物の意味を考える

以前、右脳教育のレッスンについて書きましたが、今日も同じものを受けてきました。

 

yu-andmi-104.hatenablog.com

 

慣れるとすんなりできるようになるみたいで、今日はパパっと正しいカードを選んでいきました。

でも、牛から牛乳が出るということはやっぱりわからないみたい。

親が色々感じていても、子どもはとりあえず何でもこなすし、それなりに楽しむようです。

 

 

ハロウィンが終わって、すぐにお店はクリスマスモード。

早いもので、その脇にはお正月のコーナーもあるし、年賀はがき、喪中はがきも早速販売しています。

 

大人、特に親と言う立場になってからは、こんな商戦に踊らされてたまるかと、必死に抵抗したい気持ちに駆られるし、めばえなんかには、おもちゃのカタログもついてきて、うわ~って思っていますが、こんな私も昔は、寝ている間に自分の欲しいものが枕元に置かれるのを楽しみにしていたんですよね。

 

25日には異常なくらい早起きして、妹とプレゼントを見せ合い、1日中それで遊び続けて、それは確かに楽しかったです。

そんなふうに、無邪気にイベントごとを楽しめなくなったことに気がついたときは、昔を懐かしみ、寂しい気持ちにもなりました。

 

今、ようやく娘にも物心というものがつき始めて、枕元にプレゼントがあったら、きっと喜ぶのだろうなぁと想像すると、クリスマスを楽しみにしていた頃の子ども心がよみがえりそうです。

 

身体の芯が冷えるほどの寒さ、ピンと空気の張りつめた階段、そんな冬の数少ない楽しみ、クリスマス。

 

でも、単純に、何でも欲しいものが手に入る日だと思ってほしくはないなぁと、クリスマスってそもそも何だっけ?を親子で学びたいなぁと図書館からいっぱい絵本を借りてみました。

 

 

今日読んだのはこちら。

『賢者のおくりもの』

 

 

賢者のおくりもの

賢者のおくりもの

 

貧しい夫婦が、それぞれにクリスマスプレゼントをあげたくて、自分の1番大事なものを売って、プレゼントを買うという物語。

妻は、自慢の髪の毛を売って、旦那が大切にしている時計の鎖を買い、旦那は時計を売って、妻の髪によく似合う櫛を買った。

 

お互いがお互いを思いやり、自分の大切なものを犠牲にして与え合うこと、ふたりこそが賢者だという美談として語られているけれど、私はそうは思わなかった。

 

だって、どちらのプレゼントも、お互いを幸せにするものにはならなかった。

どちらも相手の喜ぶ顔が見たくて、自己犠牲を払ったけれど、どちらもそんなことをしてほしくなかったのだ。

 

自分の大事なものを犠牲にしてはいけない。たとえそれが、1番ではなく、2番目に大切なものだとしても。

すごくすごく大切な人がいて、その人のためになら犠牲になっても良いと思えるほどならば、その人のために、自分の大事なものを捨ててはいけない。

その人が、それを望まないから。

 

髪の毛はまた伸びるけれど、時計はきっと戻ってこない。

 

女の人より男の方が、こういうとき無謀なことをするよね。

 

髪がもう1度きれいに伸びたら、くしは使い道ができる。でも、彼女の買ったくさりは、いったいいつになったら使ってもらえるの?

 

お互いプレゼントは買えないけれど、ふたりでいつも通り、おいしく楽しく食事をしよう、で良いじゃないか。それだけだって十分幸せだったはずなのに。

サプライズなんて要らない。ふたりで相談して、身の丈に合ったクリスマスを過ごせば良い。

 

この物語を読んで、そんなふうに思ってしまう私はひねくれものなのか?

自分が仮面夫婦で、サプライズなんてしたこともないし、クリスマスプレゼントを好感したこともないからそんなことを言えてしまうのか?

ふたりは、お互いの愛が確認できたという意味では良かったと思うし、相手を悪く思ってはいないけれど、きちんと話し合っていれば、悲しい気持ちにはならなかったんじゃない?

 

自己犠牲では、他人を幸せにすることはできない。

 

絵本を隣で聞いていた2歳半の娘が、いったい何を思ったのかはわからないけれど、贈り物って難しい。

 

 

2歳半の娘が私を親バカにする件

文字を読めないはずの2歳半が、なぜか自分で本を読める。

絵と文章が完全に一致していて、ひとりでも読書を楽しんでいるのだ。

 

わが家では、「遊ぶのは やるべきことを やってから」というルールを設けている。

「やるべきこと」とは、娘の場合、食後の歯みがきと洗顔、着替え、おもちゃの片づけくらいなのだけれど、たったこれだけのことをやり始めるまでに、いったいどれだけかかるのか…

 

その3つをやって初めて、私は娘の言い分を聞いてやる。やっていなければ、どんなお願いにも応じない。

「絵本読んでー」と言われたら、「まだ身支度が済んでいないでしょ。」で片づける。

そうやって、身支度を自分からやるというまでは、私も食器を洗ったり洗濯をしたり、自分のやるべきこと、やりたいことをひとりでこなしているのだけれど、諦めてひとり遊びに熱中している娘のスペックにしばしば驚かされて、つい反応してしまうのだ。

 

絵本をほぼ完璧に読んでいるのもすごいし、ハサミで切り散らかしたものを拾ってみてみると、小さいアンパンマンなどのキャラクターをピンポイントで選んで切り抜いている。

 

何も考えずに散らかしているのではなく、考えながら遊んで、いつの間にか器用になっている。

 

ひとりで口ずさむ歌が、十分聞き取れる発音の英語なのも感心してしまう。

私の仕事に付き合うときしか聞いていないのに、そのとき聞いたものを楽しみながら歌っている。

 

 

身支度さえパパっとやってくれれば怒る必要なんてほとんどないんだけどなぁ。

あとはお風呂!

お風呂入るの嫌だ、やっぱり入りたくなっちゃった、ここまでは順調で、

身体洗いたくない、ギャーと言いながら泡だらけになる、髪は泣かずに洗って、

今度はお風呂出たくない、今お仕事してるの、邪魔しないで!

やっと出ると、バスタオルとパンツ選びに時間がかかって、髪を乾かしたくなくて逃げる。

 

最近の名言は、

裸で顔だけ後ろを向けている娘に、

母「何やってるの?」

娘「蒙古斑見てたの!」

 

 

幼稚園まであと1年半。

私は私のやりたいように生き尽くす、それにどうにかついてきてもらおう。

不足を補うには、自分自身の人生に満足できるようにならなければ、という結論に達したので、生活を丸ごと楽しみながら育児をします。

全体から部分へ行くか、部分から全体へ行くか/あえて苦手な方から攻めて強くなる

先日、ママ友さんとその子どもたちが家に来た時、訊かれた。

 

「Koriさんってピアノ弾くの?」

 

そう、うちのダイニングには電子ピアノがあるのだけれど、すっかり空気のような存在になっていて、忘れていた。

 

「大学生のときまではずーっと弾いていたんだけど、もう何年も弾いてなくて…」

 

弾いていないのに、部屋の端っこを大きく陣取っているピアノを見つめる。

もう1度弾きたい、という気持ちが、ないわけではないのだけれど、弾けないという事実と向き合えるほど心に余裕がなく、弾けないという壁を破れるような「やりたい!」という気持ちも湧いてこない。かれこれ5年。

 

 

ピアノに夢中だった頃を思い出すと胸がいっぱいになる。

ピアノが楽しくて楽しくて仕方がなくて、ピアノから片時も離れたくなかったときの気持ちと難曲に向き合うエネルギーが、誰でもない自分自身から湧き出てくることに興奮していた。

ショパンの別れの曲、幻想即興曲が弾けるようになったときも嬉しかったけれど、1番嬉しかったのは、モーツァルトの『2台のピアノのためのソナタ』第1楽章を弾いたときだ。

この曲は、タイトルの通り、2台のピアノ、つまり、一緒に弾くパートナーが必要なわけで、私は当時、最高のパートナーがいた。

自分が惚れ込んだピアニストが、一緒にこの曲をやってくれるなんて、すごく幸せでしょ?楽譜も手に入って、よし練習!もう本当に、嬉しくて楽しくて幸せで震えた。

 

先に結果を述べてしまえば、私自身は、全17ページを暗譜したけれど、ふたりで合わることができたのは、第1楽章の半分だけだった。

それでも満足だったのだけれど、未完成のまま終わってしまったのは、ふたりの習得スタイルが大きく異なっていたためだ。

 

まず全体をとらえ、最後まで終わったら最初から戻ってできないところを練習するというタイプの私と、1ページが完璧にできるようになったら次に進むというコツコツタイプの彼。

 

最後までとりあえず合わせてみようよ、と言っても、最後までなんとか弾けるのは私だけ。

でも、きりの良いところまで合わせてみようと言ったとき、70点の出来で弾く私と、100点の出来で弾く彼。このときは、私が足を引っ張っているのが明らかだ。

 

 

世の中には大きく分けて2種類の学習スタイルがある。

全体から部分へタイプと、部分を積み重ねて全体へ到達するタイプ。

恐らく、どちらが良いという正解はなく、みんな無意識レベルで、自分が気持ちの良い方を選んでいるのだろう。

全体から入りつつも、中途半端にぐるぐる回らず、部分をコツコツ仕上げていくのが理想に思えるけれど、私はなかなかできなかった。

 

「ひとつひとつの要素を何度も練習して確実にしていった方が、遠回りに見えて近いよ。」

 

と言われて、基礎をコツコツやってみると、確かに全体が滑らかに仕上がる。

ひたすら同じ個所を何度も何度も、もう目をつぶっても完璧に弾けるくらいまで、桜木花道を思い出さずにはいられないくらいまでやり尽くすと、本当に上達する。

 

 

この域に到達すると、もうしびれを切らすことはなくなり、同じことの繰り返しが快感になってくる。

 

 

苦手な方向から突っ込んで、ひたすら鍛錬する。こういう向き合い方ができる何かと出会えたら、人生は最高に楽しい。

 

20代でいられるのもあと半年を切ってしまった。

私はもう1度、いや、2度も3度もここまで必死に向き合える何かを見つけよう。

 

 

「親子でピアノ習って一緒に弾く人も結構いるよ~」と教えてもらったけれど、あぁ、その発想はそういえばなかったなぁ。

2台のピアノのためのソナタをソロでアレンジしてある楽譜があったら欲しいなぁと思った時期はあったけれど。