panda life

白も黒もどちらも私。20代専業主婦の育児、生活、漫画と本の話。

辻村深月『図書室で暮らしたい』

タイトルが魅力的なこのエッセイ。

図書室で暮らしたい

図書室で暮らしたい


図書館まで歩いて行けることを住む場所の最優先項目に挙げていた私にとって、とても共感できるタイトルだ。


中でも印象に残っている話は、

ドラえもん』の道具で1番ほしいものは?

という問に対する辻村さんの答えだ。

その答えはぜひ、エッセイで読んで欲しい。


誰でも1度は、友達同士で個の話題をシェアしたことがあるに違いない。

たいていひとりは、「四次元ポケット」と答えて、

「そうすれば全部の道具が手にはいるじゃん。」

というチート回答をする奴がいる。


その答えは面白くない。

全部ではなく、ひとつ選ぶなら?
その理由は?

という内容をシェアするのが楽しいのに、全部と欲張ったら、『したきりすずめ』で大きなつづらを選んだじじいと同じだ。

それに、ドラえもんだって、ひとつずつ道具を買い足して四次元ポケットに入れているのだ。

つまり、秘密道具は四次元ポケットの付属品ではなく、別売りで、四次元ポケットは所詮何でも入るポケットに過ぎない。


私は、今なら迷わず『どこでもドア』だけれど、
昔は『着せ替えカメラ』のようなおもちゃ感覚で遊べるものが欲しかった。

大人になると、より実用的なものが欲しくなるけれど、子どものときは、直感で面白そうなものに惹かれた。


子どもが持つ、欲のない夢っていいなぁとふと思う。

風邪とイヤイヤ期とイライラ期

この前、『君の名は。』をDVDで見たら、大きいテレビが欲しくなった話を書いた。


翌日、旦那が、大型テレビを購入した(笑)

残念ながら、わが家に届くのは年末なのだけれど、この行動力はすごいと思う。


久しぶりに風邪をひいた。
なぜか私だけ。

ぶり返したイヤイヤ期に、今までで1番のイライラ期も到来。

夜泣き→マミーちゃんがいい!→私、嫌だ、ちょっと無視→泣き→怒る

風邪がうつるから別室で寝ると言い聞かせたのに、夜明け前にこの騒ぎ。

寝不足でますますイライラしつつ、意識が朦朧としている。

この私の精神状態のせいで、娘がますます情緒不安定になっている。


こんなとき、アンパンマンは癒しだ。
旦那よりずっと強く、安定感と抜群のスマイルで娘だけでなく私のことまで救ってくれる。

大きな大人や、原作の宣伝のためにつくられた深夜アニメが増え続けているなか、

子どものためにしかつくられていないであろう、数少ないアニメ、アンパンマン

しょくぱんまんドキンちゃんの恋、最強コンビのジャムおじさんとバタコさん。

たまには一緒に喋りながら見るのもいい。

4つの幼稚園に行ってみた感想

プレは3歳になってからという幼稚園が多い一方、

「赤ちゃんもどうぞ」な開かれた幼稚園もいくつかある。そういうところを探して、引っ越してきてから5ヶ月、4つの幼稚園をまわってみた。


A幼稚園

最寄り、徒歩圏内の公立幼稚園。

園庭広く、砂場道具も充実。

年期は入っているけれど、開放感があり、気持ち良さそうな園舎。

募集人数が多く、他と比べればマンモス幼稚園かもしれないが、人口密度は高くなさそう。

年少の募集がないため、候補から除外。

園庭開放の担当の先生が、私のあまり好きでない、突っ立ってるだけタイプの人で印象が良くない。


B幼稚園

右脳教育のところ。

毎日のカリキュラムがだいたい決まっていて、体操やら英語やら、習い事を園のカリキュラムで網羅しているイメージ。

アウトドアもバリバリ。

園舎が狭すぎて、少人数のはずなのに、ごみごみして歩きにくい、窮屈な感じ。

そのため、運動会などの行事は外部の施設を貸し切る。家から近いのが良いのに、車がないと行きづらいようなところまで行かないといけないのは不便。

月謝が高過ぎる。

トイレが汚い。家からハンカチを持ってこさせるべきなのに、デパートのトイレのように紙のお手拭きなんか用意するからごみ箱からあふれでている。

代表の人のリトミックシンセサイザーが不快。



C幼稚園

キリスト教こども園

園長先生はじめ、先生たちの雰囲気がよく、保護者にも子どもにも気配りしてくれる。

こじんまりして落ち着いた雰囲気の園舎と周りの環境。

走り回ったり、身体を動かす遊びをするには物足りなそうだけれど、お散歩はするらしい。

おやつが粗食なのが良い。

娘が「おいのり」を気に入っている。

難点は遠いこと。バスが来てくれないと通えない。


D幼稚園

平屋木造の園舎は素敵。

キリスト教の幼稚園だけれど、赤ちゃんの集まりではおいのりはしなかった。

先生が子どもとよく遊んでいて、常連さんの名前も覚えている。

母子ともに好印象だけれど、園バスがないため、やはり通園は厳しい。

電車通園しようと思うほどの魅力はない。



4つほど訪問して思ったのは、園独自のカリキュラムや特色、雰囲気は、実際に入園してみないとわからないのでは?ということ。

例えば、モンテッソーリ園なら、モンテッソーリのおしごとを体験してみないと、子どもにとってそれが面白く効果的に働くのかわからないし、

オープン保育を特色にあげているのなら、どの程度自由にやらせているのか、やはり現場に入ってみないとわからない。


お弁当か給食ならお弁当派。

のびのび系かお勉強か、だったらのびのび系。

それから、やっぱり先生の人柄。
この人嫌だなぁ…って思ったら預けたくないし。

あとは、その園の園児の様子はかなり重要。

落ち着きのある子ども達かどうか。
けじめのある子ども達かどうか。
うるさくて自己中なのと、元気で活発なのは、全然違う。

野外保育をやりたかったけれど断念したのは、自主保育における子どものしつけがあんまりだと思ったから。

分別のある子どもになってほしいし、そういう子どもが大事にされる環境に子どもを置きたい。

自由、主体性と言って、マナーや礼儀が身に付いていない子ども達と一緒に生活させるのは嫌だ。


家の近くに気に入った園がないのが残念。
どこに行っても娘は楽しめるだろうけど、
もやっとした気持ちで毎日見送るのも嫌だなぁ…


まだ行っていないところもあるし、あと1年。
納得できる結論を出そう。

品評会で1位の「にこまる」を食べた話

最近、「にこまる」という品種の米をお裾分けしてもらった。

品評会で1位になったのだという。


ふだんは、お米はばあちゃんの家で獲れたものや、母が送ってくれるものが多く、米を買う習慣がないため、特定の品種しか食べないのだけれど、今回、縁あって「にこまる」を食べることができた。


にこまると言ったらこのアニメ。

米を擬人化したキャラクターたちが登場する。

このネーミングセンスが絶妙だなぁとつい感心。

廃校の危機を回避すべくラブライスを結成とか、
良いのかこれ!?というパクりっぷり。


ラブ米の登場人物のひとりがにこまる。

「にこまるこまる~」が口癖。

にこまるを炊いて食べながら、思わず口に出して言ってしまうと、当然ながら娘まで、

「にこまるこまる~」


実際の味はというと、まあ確かにおいしい。
固めが好きな人ならばおいしいだろう。

栄養をそぎおとして洗練したような、芸術作品を味わっている感覚。


私はもうちょっと甘味のある庶民的な米の方が好き。子どもにも、米=にこまるとは思ってほしくないかな。

旦那はかなり気に入った様子。おかわりもする。

まあ私の炊き方も良いんだわ。


2歳7ヶ月、おもちデビューもしました。

3歳くらいが目安かな?と思ってはいたものの、
やっぱり私もおもち食べたいし、目の前で食べたらかわいそうだし、小さく切って少しずつ。

慎重な性格の娘なので、あまり心配せずに与えることができました。



「クリスマスの歌、歌ってー。にゅーいーのやつ。」


にゅーいー?

数秒考えた。

new yearか。

We wish a Merry Christmasか。

私の発音が悪いとそのまま、ひらがなで返ってくる今日この頃。


今度のお正月はみんなでお雑煮を食べられるかな?

成長して食べられるものが増えるとやっぱり楽しい♪

嫌がらせに敏感期ってあるの?と思ってしまう件

最近の娘(2歳7か月)の動向に名前をつけるなら

 

嫌がらせ期。

 

イヤイヤ期とはちょっとベクトルが違うような気がする。

他人(主に私)の嫌がることをする、「やめて!」「やらないで!」と毎日注意していることを、平気で繰り返す。

 

私に嫌われたくないという割には、本当に嫌なことをするのだ。

 

例えば、夕方になって、部屋が暗くなったから電気をつけたのに、消す。

「暗いから消さないで」と言ってつけ直してもまた消す。

 

かと思えば、朝、部屋が明るいから電気を消すと、つける。

「明るいから電気は要らないよ。」と消してもつける。

 

1度くらいなら私だって怒らない。

1日に3回以上注意させるから、プッツン。切れるのだ。

 

 

他人の嫌がることはするな。

 

これだけはもっと小さいころから言い聞かせてきて、

 

2歳7か月の口からも、

「ひとの嫌がることはしちゃいけないんだよね。」と出るくらいなのに。

 

わかっているくせに、なぜする?

 

ここでいう他人とは、自分以外の人間のことであり、

家族であろうと、嫌がらせは断固として許さないというのが私のスタンス。

 

 

最近の私は、嫌がらせに耐え兼ね、倍返ししてやりたくてたまらない気持ちなのだけれど、さすがにそれをやってしまっては本末転倒。

 

 

電気をつけたり消したりしたい敏感期なんじゃない?

子どもは繰り返しが好きだからねぇ。

怒らないでスルーすれば?

 

こんな反応が返ってきそうな気がしなくもない。

 

嫌がらせをする人とは関わりたくないと言って、

とことん無視を貫くようにしているけれど、

ほんと、懲りない。

 

家の外に一歩出れば、どこに出しても恥ずかしくない良い子になるのに。

他人の嫌がることはしないし、嫌なことをされてもやり返さない。

そのしわ寄せをすべて受け止められるほど、私の母レベルは高くないのだ。

 

 

 

 

『君の名は。』を見て、フィクションにおける恋愛の末路について考えさせられた話

 

昨晩、初めて『君の名は。』を見ました。

 ネタバレチェックをしていた状態でもかなり楽しめる作品だったなぁと思いましたが、

yu-andmi-104.hatenablog.com

 

 何より、『君の名は。』をDVDで見てよかったなぁと思うのは、

ロードショーでは見られない特典映像が満載なこと。

 

 

新海誠監督の今までの作品を紹介してくれる映像が、

新海作品を1度も見たことのない私にとっては、かなり面白かったです。

 

でも、ふと気がついたのです。

 

新海さんの作品って、『君の名は。』より以前には、

「恋愛」におけるハッピーエンドがない。

つまり、

両想いの主人公たちが結ばれるという結末には決してならないのだ。

 

その結末は、視聴者的には非常にもどかしい。

でも、あえて視聴者の期待を裏切るかのような恋の末路が、

「まあ現実はこんなもんだし、いいんじゃない?」と逆に共感を生んでもいるのだろう。

 

胸が締め付けられるような思いをさせられるからこそ、

その作品のことを忘れずに覚えていられるということもあるだろうし、

こういう切なくて苦しい気持ちを、美しい情景と音楽と共に感じる映画を好む人が、

新海さんのファンになっていくのかなぁとも思う。

 

 

そういう趣向のファンの方々にはかえって、

君の名は。』の結末は受け入れがたいのではないだろうか。

君の名は。』のラストシーンは、新海さんらしくない気がする。

 

 

結果的に、ハッピーエンドの方が万人受けするから、

にわかファンや新しいファンもたくさんついたのだろうと思うけれど、

(私もここに分類される)

たぶん、この流れに嫌悪感を抱いた人もたくさんいるのだろう。

 

 

では、どっちが良かったのだろう?

 

A 再会で終わる。

B 思い出せないまま終わる。

 

私はどっちでも良かったんじゃないかなと思う。

 

確かに現実は、フィクションの世界よりずっと厳しくて、再会できる可能性なんて0に近いだろう。

でも、これはあくまでフィクションで、何を描いたって許されるんだから、こういうときくらい、登場人物を幸せにしてあげたっていいし、大抵の人間は、彼らの幸せを願いながら映画を見ていて、喜べるのだから。

 

でも、思い出せないまま終わるのもまたアリだと思う。

現実を視聴者に見せるべきという意味ではなくて、

「思い出せないけれど確かにあった大事な出会い」というものをふたりが抱えながらこの先も生きていく、いつか会えるかもしれないという希望と、いや、もう会えないだろうという諦めの間で揺れながらも、それぞれの日常を送っていく、映画では描かれない未来を、それぞれの視聴者が想像して楽しむことができるのは良い。

 

 

 例えば、こちらの映画も私は好きなのだけれど、やはりラストシーンには賛否両論がありそうだ。

心が叫びたがってるんだ。 [DVD]

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 坂上君が成瀬順ちゃんに思わせぶりな態度を取りながらフッた結末は、おそらく相当女子ウケが悪かったに違いないけれど、私はすんなり受け入れることができた。

もう一人の女の方はビッチ臭がして好きじゃなかったけれど。

 

 

フィクションにおいて、万人受けする結末を用意することは不可能だ。

そして、それがフィクションである限り、登場人物たちの恋愛がどの方向に転がっても、現実世界に存在する人間は、誰ひとりとして直接被害を受けることはない。

 

デジモンアドベンチャー02』では、太一と空ではなく、空とヤマトが結ばれてしまって精神的ショックを受けたファンが大多数だったので、期待外れな展開が全くの無害だとは言えないけれど、このことからもわかるように、視聴者は映画の展開に「リアルさ」を求めてはいない。

 

結ばれて幕が閉じれば、「良かったね。」と頷くことができるし、

残念な結果で幕が閉じたら、涙を流したり、怒ったりするのだろうけれど、

大事なのは、どちらにせよ「心が動くかどうか」なのだと思う。

 

嬉しい気持ちになるのも、悲しい気持ちになるのも、方向が違うだけで、心が動いた証拠。

 

「何も感じなかったなぁ」「どうでも良かったなぁ」と無関心な部外者の立場にさせられない限り、私はその物語との出会いを後悔はしない。

 

 

 

進撃の巨人24巻 感想

今日も自転車で買ってきました。

進撃の巨人』24巻。

 

 

進撃の巨人(24) (講談社コミックス)

進撃の巨人(24) (講談社コミックス)

 

 

 

主人公不在のままストーリーが進んでいくパターンは、

ずっと昔、『デジモンアドベンチャー』を見ていたときには新鮮でしたが、

最近は、こういう2次元ならではの角度から物語が進むのもアリだなぁと思うようになりました。

 

ジャンが大好きな私にはしばらく寂しい期間が続くことになりそうですが…

 

 

yu-andmi-104.hatenablog.com

 

 

何も知らないガビやファルコと、知ってしまったけど言えないライナー。

「洗脳」の怖さと残酷さは、中学生のときに聞いた戦時中のお話を思い出させます。

 

「戦争に行くのは名誉であり、憧れだった。」

 

進撃の巨人』はもちろんフィクションであり、作者もお若いけれど、

ライナーたちが受けた教育(訓練)や生活する中で受ける理不尽な差別、

そこから生まれる感情や言動は、とてもリアルなものなのではといつも思います。

 

 

「悪魔の末裔」と呼び、根絶しようと思っていたパラディ島の人間たちは、

壁の向こうに海があり、その向こうにたくさんの人間が住んでいることさえ知らず、

ただ巨人だけを恐れながら、でも壁がある限り大丈夫だと信じて生きていました。

 

そんな無垢な人間たちを殺して、平気でいられるはずはなく、

生き地獄を味わっているライナーが不憫で、私にはライナーの母が1番の悪人に見えるけれど、もはや、誰が1番悪いのか、倒すべき敵は誰なのか、もう予想がつきません。

 

世界の構造を、最も理解しているであろうエレンも、ライナーも、世界のたったひとりふたりに過ぎず、そのふたりの声なんて、きっとほとんどの人が聞かないでしょう。

 

ジークの思惑もまだ謎のまま。

 

この世界で1番強いのは誰なのか。

 

誰が本当の正義なのかも、もうわからない。

エレンがこれからやろうとしていることだって、正しいことなのかわからないし、

そもそも彼は誰のために行動するのか。

 

敵をあぶりだすことはできないのか。

敵に姿も形もないのだとしたら、人はなぜ闘うのか。

 

 

このあたりの展開が楽しみです。

 

 

 

進撃の巨人(24) (講談社コミックス)

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