ゆー and みー with104

20代専業主婦の育児、生活、漫画と本の話。嬉しいことも苦しいことも笑いに変えて前向きに生きたい人へ。

私は残り2割の女性らしいけど、自分の方がまともだと思う件

先日、夕方のニュースを見ていたら、

「女性の8割が公衆トイレで紙を三角折りして出るらしいけど、これはノロウイルスの感染につながるからやめてほしい」

という内容の特集をやっていた。

私が?と思ったのは、最初の方。


女性の8割も三角折りしてるの?

なぜ?


三角折りというのは、トイレ清掃のおばちゃんがきれいに掃除しましたよーの合図だと思っていて、

入ったトイレの紙が三角折りだと、あっ、掃除したばっかりだーラッキーって思っていたのに、

トイレ掃除した人ではなく、むしろうんこかおしっこでトイレを汚した人が、洗っていない手で折っていたの?

というのがショックポイントその1。


三角折りしている女性というのは、恐らく、自分は他人に気を遣える良い女のつもりなのだろうけど、実際にはそれにプラス評価を下す人はほとんどいない。男がそれを見るわけではないし、ね。

この手の女性は、飲み会で大皿にサラダが乗って出てきたときに、真っ先にトングをつかみ、でき女の座を独り占めするタイプ。

トングを取り損ねた残りの女子に、残念のレッテルを貼って、心の中で優越感に浸っているに違いない。

気が利く素敵女子を装いながら、実はトングをコンマ1秒でゲットしてしまう超肉食系女子なのだ。

こんなタイプの女性が、全体の8割というのが、ショックポイントその2。


焼き鳥を串から抜いて分けちゃうでしょ?

あれ、結構嫌な人多いのにー。


こういう女子を上手く描写していてスカッとした小説はこちら。


勝手にふるえてろ (文春文庫)

勝手にふるえてろ (文春文庫)


私はトング合戦には勝てそうになかったので、もう気の利かない女を貫きました。

男にモテたいとも思わなかったので、残念のレッテルを貼られても気にしない。

既婚者の余裕か?トング取りに必死な人を見てしまうと和良ってしまいそうになるのは。

でも、どうしても気に入らない女がいたら、あえて気の利く女権を先に奪ってしまう、というビッチな嫌がらせも何度か頭を掠めたことが…

本当に嫌な女はどっちだ?

「大切なものは目に見えない」、「見えぬけれどもあるんだよ」を子どもに教えられた話

星の王子さま』の名言と言えば、キツネが出てくる場面の「大切なものは目に見えない」だけれども、私は「ヒツジの絵を描いて!」の場面が面白かったと思う。

ヒツジの絵は、何度描いてもケチをつけられたのに、自棄になって箱の絵を描いて渡すと喜ばれたという話。

子どもは、紙に描かれた箱の、描かれていない中身を自由に想像し、満足できるのだ。

星の王子さま―オリジナル版

星の王子さま―オリジナル版


今日、娘を地元で評判の良い眼科に連れていった。
怖がって大暴れするだろうと覚悟していたのに、娘は1度も泣かず、先生の言われた通りのことをやって診察を受けたのだ。

何が起こったのか。

最初に先生は、娘の目を見てご挨拶をしてくれた。
次にキティちゃんのTシャツを褒めて、

「じゃあここから青いきれいな光が見えるからじっと見てね」

「今度は暗くするよ。もっときれいに見えるでしょ。」

「次はこのあなを覗いて。大好きなキティちゃんが見えるかもしれないよ。今度はアンパンマンかな?ドキンちゃんかな?」

まるで座ったまま遊びの世界に吸い込まれていったかのように、先生に引き込まれて、あっという間に診察が終わった。

帰り際、娘が言った。

アンパンマンを見たね~」

あの穴の中に、アンパンマンなどいるはずがない。
嘘をつかれたと怒ると思っていた。

でも、娘には見えたのだという。


これが、ヒツジの箱の話を思い出した今日の出来事。


この「ヒツジの箱」作戦はイヤイヤ期に最適。

「ウサギさんのズボンがいい!」

そんなもの家にはない。

「このズボンの箱の中にかくれんぼしてるよ。」

「ほんとだ!かくれんぼしてる!履く!」


目に見えないものを想像する自由さ、これは強い武器になると思う。

何もないところでも、遊んで楽しく生きることができる、そんな子に育ってくれたら嬉しい。


ほしとたんぽぽ

ほしとたんぽぽ


金子みすゞさんのこの詩も好き。

星とたんぽぽに親子で思いを馳せる時間もつくりたいなぁ。

家庭内別居したくて家を建てた話

「家を建てるってことは、一生一緒にいてもいいって思ったってことでしょ?」

 

仮面夫婦であることをカミングアウトしたときに訊かれたこと。

 

まあ普通ならそう思いますよね。

 

でも、私は違った。

 

夫婦の寝室は別。

夜遅くに帰って来られて、お風呂に入られても、みーみーに気づかれることがなく、

視界に入るところでゲームをされることもない。

そんな環境は、今の賃貸物件では不可能だった。

 

それぞれが好きなように暮らせる環境をつくるために家を建てた。

 

別に無理して夫婦円満になる必要はない。

事情があって、ひとつ屋根の下に住んでいる者同士、

一応戸籍上夫婦であるけれど、シェアハウスの住人同士みたいな関係。

 

みーみーが独り立ちしてくれたときには、もう一緒に生活する必要はなくなると思っている。

 

離婚、という選択肢も持つことができるように、十分な収入を安定して得たいと思う。

 

離婚したくてどうしようもなくなったとき、みーみーは許してくれるだろうか。

 

あっさり認めてくれる年齢になるまでは我慢しようと思って生きているけれど、

引っ越しまであと1か月を乗り切るのが苦しくて発狂してしまう。

 

実家で静養したい。

不眠症を改善したいのに、帰らせてもらえない苦しみに、あと1か月以上耐えられる自信がない。

 

困った。

『進撃の巨人』に見る記憶継承の意味

ネタバレ大好きな私。ネタバレ探しで夜更かしすることもしばしば。

単行本派の私ですが、『進撃の巨人』は最新話まで網羅しています。


進撃の巨人(22) (講談社コミックス)

進撃の巨人(22) (講談社コミックス)


ここまできてやっと、私はユミルがクリスタに別れを告げ、ライナーとベルトルトについていった理由がわかりました。

それは、ユミル自身の記憶が、クリスタや他の訓練屏との思い出が、巨人の能力を継いだ相手に継承されると気づいたからなんですね。

レベリオ収容区のエルディア人は、パラディ島のエルディア人を悪魔の末裔だと信じてやまない。

島のエルディア人は、実際には記憶を改竄され、壁の向こうの世界については何も知らず、ましてやその向こうに人間が住んでいるなんて思ってもいないのに。

何も知らない収容区のエルディア人に自分の見たもの、感じたもの、事実を知ってもらうことが、世界の希望だと思ったからこそ、クリスタと別れ、自分の命を犠牲にしたのだろう。


ライナーにしても、自分が殺した人間たちが、本物の悪魔だったらどんなに良かっただろうと思う。

悪魔の末裔、穢れた血だと教え込まれていた人間たちは、悪い人間ではなかった。自分達と変わらない似たような人間だった。

そんな人間たちを大量に殺めて、罪悪感に苛まれるという地獄。その地獄を、率直に伝えることができない境遇もまた残酷だ。

なぜ戦士たちは子どもなのだろう?戦争の前線に立ち、兵器として闘うのが10代の子どもでなければいけない理由って?

ジークの目的も全然読めない。これは今後の楽しみだ。


自分の経験やそのときの気持ちを語ったり綴ったりすることは、単なる自己満足だけに終わらない。それを聞いた相手に、何らかの影響を与える。その力は、強くはないかもしれない。でも、そのなかに込められた気持ちが大きければ大きいほど、希望も大きくなると信じたい。

目に見える景色はほんの一部分で、それ以外の場所で、誰がどんなことをしているのかなんてわからないけれど、世界はひとつで、実はすべてが縦にも横にも繋がっている。だから、自分の記憶を継承することが、海の向こうの誰かや、これから生まれる誰かを救う希望になる。

今の悩みも、いつの間にかそれを乗り越えていたという体験も、発信すればきっと誰かの力になる。


進撃の巨人』の世界をひとつに収束する人間は一体誰なのか。ひとつひとつ地道に解決して前に進んできた物語だから、今後もじっくり味わおう。

2歳児を魅了するエルサ・ベスコフの世界

愛読書はノンタンアンパンマンのみーみー。

まだ長いお話は無理だと思って、私だけが楽しむために図書館で借りてきたエルサ・ベスコフの絵本が、意外なことに超お気に入りになってしまいました。

1冊目はこちら。

おひさまのたまご

おひさまのたまご

妖精が森でオレンジを見つけて、これはおひさまのたまごだわ!と大事に大事にします。

ある日、意地悪な鳥がそのオレンジを独り占め。

妖精は悲しみましたが…


読み聞かせというよりは、絵を存分に味わいながら、話の要点をかいつまんで語ってやる感じ。

それでも、このストーリーが気に入った模様。
意地悪な奴が出て来て、1度はめちゃくちゃになるけれど、最終的には良かったね~で終わる展開が良いのでしょうか?

返却したのに、読みたい!買いに行こう!とせがまれているので購入します。


お次はこちら。

ブルーベリーもりでのプッテのぼうけん (世界傑作絵本シリーズ―スウェーデンの絵本)

ブルーベリーもりでのプッテのぼうけん (世界傑作絵本シリーズ―スウェーデンの絵本)

正直私は、表紙の蜘蛛が気持ち悪いと思ってしまったのですが、これが娘には大ウケなんです。

真ん中の蜘蛛、カタツムリ、芋虫、ひとつひとつじっくり見つめ、自分のなかにあるイメージと結びつけている感じ。

森のようちえんを体験して、本物の虫との出会いがあって以来、以前は怖がっていた虫たちに興味津々。


対象年齢が合わない絵本は楽しめないと思っていたけれど、おとなしくお話を最後まで聞くことだけが絵本体験ではないんですね。

絵をじっくり見たり、前のページに戻ったり、自分なりの読み方、見方をしても良いのです。

親はなかなかそれを受け入れられない。話を聞いてくれないことに苛立ったり、先に進みたいのに滞ることがもどかしかったり。

「読み聞かせ」をしようと思わず、子どもと絵本が出会い、交流する時間をつくろうという気持ちで親子の絵本時間を持つと、よりたくさんの絵本と出会えることにやっと最近気がつきました。

まずは、親である自分自身が好きな絵本を選びましょう♪

抱っこのしすぎで疲労骨折していた話

右足が痛くて、時折足を引きずるようになったのがいつからだったのか、もう覚えていない。

妊娠中に大きな荷物を持って長距離移動したことがきっかけで痛めてから、度々同じようなところが痛くなり、接骨院に通って治る、再発を繰り返してきたのだけれど、イヤイヤ期に突入してからはなかなか接骨院に行くことができなかった。

じっと30分座って待つこともできないだろうし、何より走り回って器具を壊すなんてことがあっては困る。

いや、それ以前に、予約してもその時間にたどり着けない可能性が高いから、時間を守ることに対するプレッシャーが大きくて億劫なのだ。

しかしながら、痛みが指からかかとまで達して、もうだめだと限界を感じたので、今年初、接骨院へ。

「いつからですか?」

「2、3ヶ月くらい前だと思います(適当)」

「…」

「もしかしたら、もっと前かもしれないです。良くなったり悪くなったりを繰り返していてよくわかりません。」

「たぶん、しばらく前に疲労骨折していましたよ。今はくっついてるけど、骨の回りの筋や神経が傷んでいると思います。」

疲労骨折って、運動のし過ぎが原因でなるやつじゃないの?

骨折している状態で毎日10キロの重みに耐えながら抱っこしていたら、そりゃ骨だけじゃなくて心も折れるわ。

もっと早く接骨院に行っていれば、こんなに無理しなくて済んだかもしれないなぁ。

私は痛みに強いわけではないのだけれど、昔から病院に行く習慣があまりないというか、怪我をしたり熱を出したりしても心配されたことがないから、つい放置してしまいがち。

昔バイクから落ちて怪我をしたときも、2、3日寝ていれば治ると思い込んで1週間病院に行かなかった。普通はすぐに行くよ、バカなの?なんて言われた。

まぁ2歳児に、「母は骨折したので抱っこできません」と言っても通じないのだけれど。包帯ぐるぐる薪にして松葉杖でも装備すればさすがに察してくれるだろうけど、そこまで重症でもない。

自分を大事にする、という意識が私はどうも薄い。こんなに若いうちから足を痛めているようじゃ、あっという間にあの世に引きずられてしまいそうだ。

こんな私でも、娘には、「生きる」ということに対する執着心を持ってほしいと思う。生きたい、と生にすがりつくことができるような人生を送ってほしい。

乗っている船が沈没しても、自力で泳いで生き残り、不審者に襲われても逆にやっつけてしまえるようなチート能力の持ち主になってほしい。


「子どもにやらせたい習い事とかある?」

本人が自分の口から習いたいというまでは、こちらから口を出さない親でありたいと思いつつ、水泳と護身術は習得してほしいなと密かに願う母である。

嫌われてからもう1度好きになってもらうにはどうしたらいいか悩んでいる件

ああ、そうか、これは不眠症だ。

眠れていないからイライラして、怒りっぽくなる。

眠るための時間はあって、横になっているのに眠れない。

いつからだろう?何日くらい続いているだろう。

3人で四畳半は無理がある。

実家に帰りたいのに帰れない。

カントリー・ロード

カントリー・ロード

頭に流れるのはこの音楽だ。

みーみーは恋アクを歌い始めた。
教えてないのに!

とっても、とっても楽しそう♪


1度嫌いになった人をもう1度好きになるのは不可能だと、私はこの3年間で痛感してきた。

しかし、1度嫌われてしまったけれど、もう1度好きになってもらうにはどうしたらいいか、という逆の気持ちも考えたことは1度もなかった。

今、私は、どうしたらみーみーにもう1度好きになってもらえるか考えなければならないのに、それが死ぬほど難しくて苦しいのだ。

だって、最高に腹が立つ。他人ならこの人嫌いだなぁと思えばあっさり距離を置いて終わりなのに、親子の場合そうもいかない。

嫌われたくなければ、イライラをぐっとこらえて甘やかせばいい。好き勝手やらせればいい。これも他人に対してなら取れなくはない態度だけれど、毎日四六時中一緒に過ごす子ども相手ではそうもいかない。

つまり、神経を逆撫でされながらイライラに耐え、でも決して甘やかさず、嫌われないように諭すスキルが必要だ。

それって何?

そもそも、親子の絆というのは、ゲーム感覚で攻略しながら築いていくものでもなかろう。

恋愛で好きな人と両思いになるよりずっと難しい。

媚を売ったり、胡麻を擂ったりして好かれることには何の意味もなく、ありのままを愛されなければならないのだ。

だから、育児しながら育自に励まなければと思う。
でも、この「しなければ」が大きなプレッシャーにもなる。

つらい。こんなに途方に暮れたのは初めてだ。