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ゆー and みー with104

20代専業主婦の育児、生活、漫画と本の話。嬉しいことも苦しいことも笑いに変えて前向きに生きたい人へ。

2歳になってからできるようになったこと

保育園のお誕生会に呼んでもらって、お祝いしていただいて以来、自分が2歳になったことを受け入れたわが娘。

保育園のお友達にお祝いしてもらったことが、本当に嬉しかったらしく、2週間経った今でも、「保育園のお友達にお祝いしてもらったねー」と毎日言っています。

 

さて、今日は、ご無沙汰だった、子育て記事です。

最近の様子を思いつくままに綴っていきたいと思います。

 

トイトレが進んだ!

親としては何よりも嬉しい成長です。

紙おむつをしていても、お外にいても、おしっこしたい!ときちんと知らせてくれて、トイレに行きます。

 

1日2~5回はトイレで用を足しています。

 

トイトレって、頑張るのは娘なのですが、実際には母の必修科目のようなものでもありますよね。付き合うのも大変。

 

おしっこ~と言ってトイレに駆け込むものの、出ないで終わったり…

それを数分の間に3度も繰り返されたときには正直うんざりしてしまいます。

 

紙おむつを履かせて外出しているとき、道路の真ん中で尿意を報告されたところで、トイレなんてどこにもなく、雑草の生い茂るワンコのおトイレもないから、「今は漏らしちゃって!」と声掛けするのですが、ここで乙女心が出てしまい、必死に我慢する娘。

 

漏らしたくない、という感情が芽生えたのも大きな成長。それに応えてあげられないときの罪悪感はハンパないです。

 

でも、なぜ?

紙パンツは濡れないのに、布パンツだとどうして平気で漏らすの?

これも3回目でついつい怒ってしまいました。怒ったら漏らさなくなりましたが…

 

不良ぶる楽しみを覚えてしまった。

私が言うのもどうかと思いますが、うちの子はいい子です。

お外では、きちんとマナーを守り、できるだけ汚さずに食べることを心がけることができるし、他人の物を勝手に触ったり、友達をいじめたりすることは決してありません。

ところが、友達のMちゃんと1度ごはんを食べたら、次の日から家で不良ぶるのです。

 

悪いとわかっていながら、机の上によじ登って立ち上がっている。

注意すると、

「Mちゃんの真似!悪い子なの!」

という。

 

なんてこった。

 

お願いだからこんな子と友達になって家に連れてくるようなことはしないでほしい。

 

マミーと仲良くなりたいの!

最近の口癖。か、かわいい…☆

でも、仲良くなりたいなら、Mちゃんの真似しないでよ!と私は言う。

 

みーみーはお外で言って良いこと悪いことをわきまえているので、告げ口はしないはず。

「マミーがMちゃんは悪い子だって言ってた!」

なんてことは絶対に言わないよね?

 

子どもに口を滑らせてしまう私はかなりいけない母親なのだけれど、溜めておけない性分で…

 

ありがたいのは、家事や勉強をさせてくれること。

今はお仕事の時間。今日はお勉強の日。説明すると、わがままを言わず受け入れてくれる聞き分けの良さ。やっぱり、問題児よりしっかり者の方が好きだ。

 

プールで習ったことの再現

童謡を聴きながら身体を動かすというアクティビティを家では人形に教えるようにしてやっています。歌も上手になりました。

 

 

 

怒ったり笑ったり泣いたり、気持ちが忙しい毎日。

時間のない世界に行きたいなぁなんてどうしようもないことを考えながら、

どうにか生きています。

 

 

 

 

 

 

娘の次に好きな女の子

今週のお題「私の沼」

ラブライブ!サンシャイン‼Aqoursのメンバー、渡辺曜ちゃんのことが好きで好きで仕方がない、母ライバーな私。

水泳とスクールアイドル、二足のわらじというだけでなく、料理、裁縫もできて、要領がいい、性格良し、顔良し、清潔感溢れるショートカットが可愛い上に碧眼。さらに、将来の夢は船長というのもいい!

ラブライブ!を限界まで楽しんだ後、恋アクを堪能してから眠りにつくのが毎日の日課。


曜ちゃんのUR、SSR、SRが全然出なくて悲しい。
全部のカードを曜ちゃんにしたいくらいなのに。

「私、頑張るよ。」

曜ちゃんに言われると頑張れる気がする。

自分の娘には、ここまでスペックの高い人間になってほしいという期待はしないけれど、曜ちゃんの持つ生きる力や幸せなエネルギーをたくさん吸収して欲しいなーとは思う。

壊したいもの、壊したくないもの

私は嘘をつくのが得意ではない。
好きではないと言った方がより正確だが、いつもいつもばか正直に本音を吐き出しているかというとそれも違う。

例えば、
周囲のお世辞なのか本心なのかわからない誰かへの褒め言葉を聞いているとき、それが自分の本心とかけ離れている場合、私は黙秘に徹する。

ノーコメントを貫いているときは、真逆の意見の持ち主だと思ってもらって差し支えない。

嘘はつきたくないけれど、そこでディスって当事者を傷つけたり、周りの人間を敵に回したりしたくはない。

本音をズバズバと漏らしてしまえたら爽快だが、失うものが多すぎる。

本当にその人のことが好きならば、多少の綻びは見て見ぬふりか、オブラートに包んで本音を言うはずだ。

だから、本当は言いたくて仕方がないのにあえて本音を慎まなければならないということは、その人のことを、思っていたより好きではなかったという証なのだけど、それでも私は失うことを避けている。

ここまで種明かしをしてしまったら、あえて言わない本音が遠回しにバレてしまう。

壊さないように注意を払いつつ、実は滅茶苦茶に壊したい。

どこまで言えば見えなくなるまで粉々になるのか、この目で確かめてみたい悪趣味な欲求を、心の奥底に、わずかに秘めている。

壊したい気持ちは、自分の後悔だ。

自分を後悔させたり、がっかりさせたりした誰かへの憎しみ。

気づけ、私をこんな気持ちにさせたことを。
気づかないなら気づくまで壊してやる。

そんな汚くて嫌な気持ちだから、痛い。
とても痛い。
言葉で以て直接叩きつけたら、止まらなくなって自分も痛い。

止めた途端に力が抜けて、もうどこにも自分がいないみたいに脱け殻になったまま、永遠に動けなくなればどんなに良いだろうと思うのだけれど、そういうわけにもいかない現実が目の前にある。最悪だ。

こんなときは、どこに行けばいいんだろう?
何にすがればいいんだろう?

執着しているものがないと、気持ちに余裕が生まれるはずなのに、今、何にも執着できない私は、寝ても覚めても同じところにいる。

育ちの良し悪しは1歳から見えると思った件

「いつ頃から◯◯できるようになった?」

自分の子どもより月齢の小さい子どもを持つママさんによく訊かれること。

私も参考程度に訊くことがある。

◯◯の内容は、寝返りだったり、歩行だったり、トイレだったり、色々あるけれど、


「育ちの良し悪しっていつから見えると思う?」

「しつけっていつからしたらいいの?」

「良いことと悪いことの区別っていつ教えたらいいの?」

こういう質問をしてくる人はまずいない。

この手の相談をしたい人は、たいてい保健師や保育士のようなエキスパートにするだろうから、ママ友間で「しつけ」が話題になることは少ない。

きちんと「しつけ」を行っている人は、それが当たり前だと思っているし、「しつけ」をしていない人は、その必要性を自覚していないからだろう。

子どもは、親の良し悪しに関係なく悪いことをするものだ。だから、多少悪さをしても仕方がないし、お互い様だ。

たいていの親は、そんなふうに思っているはずだ。いちいち他人の子どもの悪さを真に受けて目くじらを立てていては、人間関係がなりたたないし、自分の子どもが同じことをしてしまったときには面目ない。

でも、だからと言って、悪いことをして当然、何でも許されると心のどこかで思ってはいないだろうか。

口先だけで気持ちが伴っていない注意をする母親はすぐにわかる。

そういう母親の子どもは、いつまで経っても成長しないし、ただの迷惑な存在になってしまう。

悪いことはやめてほしい、誰かを嫌な思いにさせたり、迷惑なことはやらないでほしい、そんな気持ちがある母親の注意は、繰り返し言っていればいつの間にか届くものだ。

出来心で思わずやってしまっても、悪いことだと自分で気がつき、謝れる子どもになる。

自分の親には多少甘えたりわがままを言ったりして困らせることはあっても、他人に迷惑なことは自然としなくなる。


今日私は、他人の子どもに対して、正直ひっぱたいてやりたいくらい腹が立ってしまった。

自分の子どもだったら、叩いて叱ったと思う。いや、それ以前に、自分の子どもだったら、「させない」、もしくは、言わなくても「やらない」と思う。

みんなで食事をするテーブルによじ登り開脚。
他人のバッグの中身を物色し、勝手に触る。

他人の弁当の中身を手づかみして無理やり食べさせる。

他人のコップを勝手に手に取り口をつける。

そのせいで、暑くて喉が渇いているのに、私は、たった一杯しかお茶を飲めず、みーみーは薬を飲むことができなかった。

極めつけは、私とみーみーのみかんを食べたくて、図々しくも手を出して待っている。
自分にはバナナがあるのに。

月齢の問題だと母は思っているのだろうけれど、
イヤイヤ期にはまだ少々早い月齢であるし、みーみーは1歳過ぎにはもうわきまえている子だった。

自分の家の中だけで生きていくのなら、どうぞご自由に。悪いこと、嫌なことをされたままで平気なら放置すればいい。

でも、公の場に足を踏み入れたいのならば、他人に迷惑なことはさせてはいけない。

しつけされている子どもとされていない子どもは一目瞭然。みんな同じように自由奔放だと思うかもしれないが、そのなかに、他人に迷惑をかける子ども、悪いことを悪いと自覚したり反省したりできない子どもとできる子どもがいる。

それに気づけるかどうかで、大きな差が生まれる。

私は少々厳しすぎるかもしれないが、自分の子どもを心底かわいいと思ったし、良い子に育ってくれていると自信を持って言える。もうちょっと奔放さがあっても良いけどね。

田舎で暮らしたい

睡眠は量より質だと思い知らされる長閑な朝。
いつも通り、23時30分に床についたはずなのに、5時前から頭すっきり。

三文の得。体内時計に忠実でぐっすり眠っているみーみーの隣からそっと這い出てラブライブ!

大人げない、残念な時間の使い方だと思われても仕方がない。でも、今は、この「やりたい」と「好き」に忠実に生きた方が、すっきり次に進める気がしている。

じいちゃんの四十九日。また、ばあちゃんの田舎に来ている。今度はとしおも一緒。広くて静かなせいか、としおも4時前からうぐいすの鳴き声ですっきり目覚め、布団のなかで余韻を楽しんでいるようだ。

もっと気疲れするかなと思ったけれど、広過ぎるくらい広い家だし、ばあちゃんが細かい気遣いをするせいか、私の実家に来たときよりリラックスしている。

野菜たっぷりの味噌汁とあっさりとした煮物、サラダと豆。ローストビーフに焼き鮭。こんなに食べられないといつも思うのだけれど、野菜でお腹を満たせる心地よさ。

じいちゃんが作った芸術的な天井をぼんやりと眺めながら眠ると、静かにすぅーっと深いところに入っていける。

みーみーは、自分の家以外のトイレで用を足すことができるようになり、とても喜んでいるようだ。

おむつの減りが昨日から遅い。

お口はなかなか減らないが。

「おやすみ」とばあちゃんに挨拶して寝る準備をする、そんな育ちのよさをここでも醸し出している。

理想のおやつと現実のおやつ

今週のお題「おやつ」

おやつ、ブラックコーヒーを淹れて、残りが少なくなることが惜しくなるような、ゆっくり味わって食べることができるようなものが好き。


私は、スナック菓子を買って食べることはまずない。貰い物でも食べずに放置して、賞味期限が切れて棄ててしまうことが多い。

娘に合わせて一緒に食べるならば、無糖のヨーグルトやフルーツになってしまう。そういう酸味のあるものとコーヒーの組み合わせはナンセンス。
さっぱり身体に良いものを摂取したいと思えば、麦茶とフルーツでも良いのだけれど、私にとっての「好きなおやつ」は、ひとりでじっくり味わえるものに限る。

その1 チーズケーキ

生クリームっぽさが強いレアチーズケーキはナンセンス。

チーズをそのまま食べるよりちょっとだけ甘く、わずかに塩っ気の残るハードなチーズケーキがいい。

一口サイズではなく、ちょっと食べ過ぎかも…と思うくらいの大きさがいい。

もしくは、下がベイクド、上がレアのような2層タイプ。

私は、自分の結婚式で、こんなチーズケーキをオーダーメイドしたかったのだ。


その2 フォンダンショコラとバニラアイス

鼻にツンとくる濃厚なチョコレートに、甘く冷たいバニラアイス。これはコーヒーに合う。お腹にもたまる。


その3 モンブラン

黄色のより茶色が好き。味の違いはわからないけれど、茶色の方が落ち着いた見た目で味わい深そう。
スポンジ部分が少ない方がいい。かといって、茶色のぐるぐるの内部が生クリームだけでも興醒め。
小ぶりだとけちくさくて、物足りない。
モンブランバランスが難しいから、当たりとなかなか出会えない。それゆえ、敬遠してしまう。


ちなみに、一番嫌いな食べ物は、ショートケーキ。

ベトベトで甘ったるい生クリームに、モソモソのスポンジという組み合わせだけでもうんざりするのに、いちごをはじめとするフルーツという酸味が加わるのが理解できない。

どうして、これがケーキの定番なんだろう。
これが定番のせいで、結婚式のたびに食べなくてはいけないのが苦痛。
食べずに残したい気持ちと、これっぽっちしかないし、まだお腹が空いているから少しでも何か口に入れたいという気持ち、2つの負の気持ちを抱かせる恐ろしい食べ物だ。
としおと不仲になった原因もショートケーキだった。

としおの実家に行くと、生クリーム、スポンジ、フルーツの3拍子が一番好き~な感じなので、嫌いと言えないのが辛い。朝ごはんにそれが出てきたり、3日以上続いたときには1ヶ月以上まともに口がきけないほどの冷戦状態だった。


パンとケーキは自分で見て選びたい。
自分で選んだおやつを、「一口ちょうだい」と言われることなしに独り占めしたい私は嫌な女だろうか?

まぁ、贅沢なおやつなんて基本誕生日とクリスマスくらいであって、みーみーと食べる手作りアイスで普段は大満足なのだ。

子育ての悩みを整理しつつ、易しさと優しさの違いを考えてみた。

我が娘、みーみーには完璧主義なところがある。

自分でやってみたい気持ちはあるだろうに、
自分でやるとうまくできないことがわかっているからやりたくないのだと言う。

「上手にできないから、やって。」

これが最近の口癖。

周りの子どもたちは、大人の迷惑なんて考えず、自分のやりたいことをやりたいようにやっているのに、みーみーはかなり控えめだ。

「え?今は本当に走り回ってもいい時間なの?」と目で母に尋ねながら周りを一生懸命観察して、考えてから行動する。

私が、「やってもいいよ。」と言ってもまだじーっと立ち止まって動かない。

うまくできなくて怒ったり、けなしたりしたことはない。だから、この慎重で用心深く完璧主義な、あまり子どもらしくない一面は、きっと生まれ持った個性なのだと思う。

「自分でやってみたら?」
「ぐちゃぐちゃでもいいんだよ。」
「上手じゃなくてもいいんだよ。」

自分でやる、やってみることの大切さ、楽しさを知ってほしいし、自分でやらなければいつまでも上手にならないから、やってみようよ!というのが私の思い。

毎日口で伝えているのに、まだまだ心に響かない。

これが、今の私の最大の悩みだ。

失敗や挫折という苦しい気持ちを経験しつつ成長していく、その必然性を既に知っていて、何にもやりたがらない娘と、その個性と、どう向き合い、アプローチしていけば良いのか。

そして、それを誰に相談すれば、腑に落ちる答えが見えてくるのか。


今の子どもたちは、「易しい世界」に生きていると思う。「優しい」ではなく、「易しい」。

例えば、

ゆとり世代と言われる私達でさえ、給食で嫌いな食べ物を残すと怒られたり、厳しい先生だと、給食の時間が終わってもまだ机に座らせていた。
今、それをやったら体罰と言われる。
嫌いなものは無理して食べなくてもいい。栄養は他の食べ物で補える。

学校で何かあれば、すぐに親が文句を言う。
例えそれが、子ども対教師の問題であっても、意見するのは子どもではなく親。

泣けばスマホを与えられ、得意気に操作する小さい子どもたち。

自分の嫌いなものと向き合う時間は回避され、
自分の意見や不満を自分の言葉で伝える必要性もなければ、何もないところから遊びを生み出す創造力もいらない。

だから、今は、子どもたちにとって、攻略するのが易しい世界なのだと思う。

大げさに言うと、
自分以外の誰かが、自分を犠牲にして分けてくれた優しさより、大人がより楽に、合理的かつ効率的に子どもを管理できるように作られた機械やルールの中で生きていると思う。

そんな子どもたちのことを考えていると、「甘やかされてずるいな、私達のときなんて…」と羨ましく思う気持ちがまず最初にある。

自分達がされて嫌だったことを否定し、せめて自分の子どもには…という気持ちが集まって、今の世界ができたのだろうけど、でも、その結果はあまりに安易なんじゃないかと私は思う。

自分の娘には、そんな安易な世界に流されてほしくない。自分の足で立って、自分の軸を感じながら、上手くバランスを保って生きる器用さを身につけてほしいと願っている。

子育てをしていて感じるのは、手を抜いたら抜いた分だけ、後で子どもと自分の両方にツケが回ってくるということ。

私がしていない苦労を伴っている親は、やっぱりどこかで手を抜いている。甘やかしたり、諦めたりする方がずっと楽だから、そっちの方に流れていく。

私がしている苦労をしていないように見える親は、私よりずっと子どもを信頼し、じっくり待ちながら成長を楽しんでいる人だ。
やりたいを大事にして、「やめて」を極力言わず、自分の時間を割いてまでも子どもの手や足を鍛え上げた人だと思う。
私はそれを「優しさ」と呼びたい。


子どもと一緒に学び、遊び、「優しい」人間になること。これが私の使命だ。

毎晩、絵本を読んで電気を消した後は、みーみーのトークショーが始まる。とりとめのない話が次から次へと。きょうはワカメを食べたと言ったかと思えば、先生とプールに入った話、アンパンマンに会いたいとか、保育園にウサギがいたね、とか。

ある日、メロンパンナちゃんの歌を歌い始めた。
すると、みーみーもパンナになったらしい。

突然、「ラブリーキッーク☆」と叫びながらキックを始めた。

ラブリーキッーク☆なんて、メロンパンナの技にはない。

それは、みーみーが編み出した、オリジナルの必殺技だった。

そう、そんな感じでいいんだよ。
自分で考えて、手足を動かして、何かを生み出す。
深く思い悩まなくていい。咄嗟に浮かんだことを次から次へとやってみるのもアリだよ。

自分でやったこと、自分で選んで決めたことには誇りが持てるでしょ?

失敗しても、上手くできなくてもいい。
全部肯定してあげることができる「優しさ」を養いながら待っているから、何でもやってごらん。

なかなか噛み合わない親子関係だけれど、いつか、心に響く日まで、辛抱強く言い続けよう。