panda life

白も黒もどちらも私。20代専業主婦の育児、生活、漫画と本の話。

動けない1日

2歳3ヶ月、いつの間にかできるようになっていたこと、ふたつ。


洋服のボタンを留める。

お箸でごはんを食べる。



あとは、どうか、トイレでお花を摘んでほしい。

ダイニングで、お花摘んじゃったとか言わないでほしい(笑)


「どうふが食べたい」

「豆腐じゃなくて?」

「…どうやどうふ」

高野豆腐ね。


私は今日、寝たきりだ。心の不調で動悸と吐き気とめまいと腹痛で、立っているのがきつい。他人どころか、家族とさえまともに口をきけない。どうしようもないので、旦那に休んでもらった。高野豆腐を買いに行く準備に30分もかかっている。大丈夫なのか。

離婚以外の治療法があるのか、わからない。今はしゃべることもできないから、話し合いさえままならない。




こんなツレでゴメンナサイ。 (文春文庫)

こんなツレでゴメンナサイ。 (文春文庫)


上の漫画を読んだ後にツレさんの本を読むと、漫画ではわからなかった苦しみがあったことがわかる。オブラートの中身を見てしまったような感覚で読んだ。真似して納豆とバナナを食べたり、恵方巻も方角を確かめてから食べたりした。

まだ開けていない段ボールのどれかに2冊まとめて入っているはず。

まだ眠りたくない娘ともう目覚めたくない母の会話

「トイレに行く?」と問うと

必ず

「お花を摘みたいです。」と返ってくる。


新しい自転車の後ろで、

「大丈夫かなぁ?大丈夫かなぁ? 」

と声が聞こえる。

人を後ろに乗せて走るってこんなに不安定なものなの?自転車に乗れない子どもになった気分。

絶対に手離さないでね、と念を押していた頃のような危うさ。安全運転なのにスリリングなサイクリングでした。


夜はいい。もうずーっと、1日中夜なら良いのにと思う。朝は苦手だ。毎日動悸で目覚める。なんとか、あと1ヶ月だけここで頑張って、そしたらまた帰ろうか。


でも、寝る前に娘は言った。

「またお祭りに行きたいね。今度はダディと3人で行きたいね。」

3人にやたらこだわる娘。複雑な思いは言葉にしない。

「そうだね。行こうね。」

と応える。



長い間~Kiroroの森~

長い間~Kiroroの森~

大人になってから読む児童文学

梨木香歩の『西の魔女が死んだ』は、国語の模試や夏休みのワークブックなどの定番で、断片的に何度も読んだ記憶がある。

まいという中学生の女の子が、学校に行けなくなり、しばらくおばあちゃんの家に居候するという話。

西の魔女とは、まいのおばあちゃんのことで、つまり、まいのおばあちゃんは死ぬのだ。


1度も最初から最後まで読んだことがないにも関わらず、ここまで簡単なあらすじを説明できる。

おばあちゃんが死ぬことは、ネタバレにもならない。それは物語の悲しい要素ではあるけれど、もっと大切なのは、生きている間に、おばあちゃんが教えてくれた生き方だから。


西の魔女が死んだ (新潮文庫)

西の魔女が死んだ (新潮文庫)


まいはおばあちゃんに魔女のレッスンを受ける。
早寝早起き。運動。大事なのは、何でも自分で決めること。

便利な道具や機械がなくても知識や知恵を持って生き抜いてきた昔の人達。そのなかでもとりわけ予知能力のような直感が強い人達のことを魔女という。

ステッキで自分の都合の良いことができる魔法少女ではない。

自然いっぱいのおばあちゃんの家で、イチゴを摘みジャムを作ったり、鶏が産んだ卵をいただいて食べたり、あぁこんな生活してみたいなぁと思うような学びのあふれた物語。

まいは、ここを出るときに心残りがあった。おばあちゃんの顔も晴れやかではなかった。それから2年の月日が経って…


児童文学を大人になってから読むと、やはり物足りない感は否めない。もっと深く、長いものが読みたいという欲求は満たせない。しかし、夜寝る前の90分、ほんの少しだけ夜更かしを見込んだ読み物としては最適だ。

読んですぐ、布団に入って泣いた。さめざめと、涙を惜しまず流して泣いた。まいやおばあちゃんがかわいそうだったからではない。心が温まり過ぎて泣いた。私自身にとっての『魔法の場所』を思い出して、今そこに戻れないことを思って泣いた。

かつての日常が非日常になって、当たり前だったものに手が届かなくなっていくこと、年を重ねながら何度もそれを経験してきた。

まだそれを知らない子どもたちは、深く長い物語より、シンプルかつ包み込んでくれるような作品に出会えると良いのかもしれない。

いつか娘にも、この短い物語を、じっくり丁寧に味わってほしい。

何もないから良いんだよ

明日で夏休みが終わる。私ではなくて、旦那の夏休みが。

毎日どこかに出かけ、毎晩夕食をつくる。娘にトイトレ係を使命されトイレに付き添う。そんな充実した1週間を送っていた。


行きつけというほど頻繁に利用しているわけでもないが、大好きなパン屋さんが2つある。あっという間に顔を覚えられ、サービスをしてもらえるようになった。


久しぶりに知り合いと会って話す機会があり、引っ越してどう?という話に当然なる。

静かすぎるし、部屋は広すぎるし、まだ慣れない。五月蝿さと窮屈さに辟易していたはずなのに、今はただ寂しくて、時間が止まってしまったみたい。大きな家は荷が重すぎて、気疲れが取れない。

正直に話した。
流石に、気疲れが積もり積もって精神を病みかけていて離婚してでも出ていきたいとは言わなかったけれど。


「何もないのが良いんだよ。」

私の話を最後まで聞いてくれた方が言ってくれたこの一言が響いた。

まだ「何もない」状態を楽しめる心境ではないけれど、なぜかストンと心に落ちた。

ゼロからコツコツと、ゆっくり積み上げて、娘と生活をつくっていく、そんな楽しみ方をしたい。それは、きっと、あの場所ではできなかった。そう信じて、もう少し、ここで暮らしてみようか。試行錯誤しながら。


明日はプールに行きたかったのに、としおが行くのを許可してくれなくて予約できなかった。きっと私はこれもひきずるのだろう。あのとき行かせてくれなかったから、私はストレスを発散できなかった、離婚したいって、言うんだろうなぁ。

未だに引きずっている不満~食事編~

偏食がない人、何でもおいしいと言って食べる人は、その人自身も幸せだと思うけれど、一緒にいる人にも安心感を与えてくれる。つまり、何でもおいしく食べられる人は好かれる。

誰かと一緒に遊ぼう、食事をしようという話になったとき、店選びはお互いに気を遣うものだ。何も意見を出さないのも困るけれど、自分が選んだ店で何か不快な思いをしたら…?そういう理由で責任から逃れたい気持ちは誰にでもある。

何でおいしいと言う人だと、そういう面倒な悩みがない。どこで何を食べることになっても、気持ちよく過ごすことができる。

そういう友人を持つといい。そして、自分もそういう人間になる努力をしたいものだ。


逆に言えば、偏食のひどい人ほど、付き合うのが苦痛だ。まあ単純に、あれは嫌い、これも嫌い、と嫌いなものと食べられるものがはっきりしている人ならば、選択肢が狭まるだけなので、楽と言えば楽かもしれないが。アレルギーも本人の責任ではないので仕方がない。それは十分配慮されるべきだ。


1番たちが悪いのは、本人にしかわからない基準を持っている人。安いチェーン店のお刺身やお肉は吐いてしまうからダメ、庶民御用達のファミレスもダメ、ヨード卵以外の卵はダメ。偏見なのか本当にそうだからどうしようもないのか、本人以外には知る由もないけれど、そういう話を平然と他人にできてしまうことが、私には理解できない。


結果的にそういうタイプの人は、端から見れば高級なものしか食べないセレブだ。普段、安価なチェーン店でしか買い物せず、そこの食品を当たり前に食べていて、デパ地下なんか無縁の人間が食べているものを、食べられない、吐いてしまう。

それを口にしてしまうことは、

「あなたたちが普段食べているものは粗悪品だから食べられないわ。」

と言っているのと一緒で、言われた側の気分が良いはずがない。

そちら側が当たり前に食べているものを、私達は普段食べられないわけで、双方の食品が、実際にどれだけ違うのかもわからない。そういう人は、産地偽装を見破れるのか、買ってきた店を偽っても見破ることができるのか、できるかもしれない。できたらすごい、本当に見る目があるんだと、見直せる部分は出てくるだろう。でも、それでも釈然としない。
その感情は妬みではなく、面倒くさい。


自分の買ったもの、作ったものではなく、買ったものに少しも箸をつけず、やっぱり自分で買いに行くと言われて、気分を害さない人がいると思うのか。せめてもう少し上手くやってほしい、という愚痴の話。


この手の事例が少しずつ貯まっていくと、夫婦の仲は悪化していく。それが本人たち自身のことじゃなくても。

雨なのに「お花を摘んで来たよ」と言った娘と起き上がる気力もない私

起き上がるのが辛いくらい体調が良くない。

半日ひとり布団で横になっていると、ガラガラ…



娘「お花を摘みに行って、お花を摘んで来たよ。」


外は雨。お昼寝散歩に行ったのに、雨が降ったから眠れずに帰ってきたはずだった。


は?


としお「トイレに行って、おしっこしてきたよっていう意味。」


なんて比喩を教えるんだこの父親は。





私は子どもと向き合う、子どもの成長にじっくり付き合う心の余裕がない。すごく、すごく、疲れてしまった。旦那に文句を言う余裕さえない。


結婚式関連の品は、ひとつも自分の部屋に置きたくなくて、全部としおに委ねている。なぜまだ同じ部屋に布団を敷いて寝ているんだろう。私が出ていけば良いのか?私はこの人と生活することが、同じ財布で生活することが、1番不安だ。


今日もお腹が痛い。早めに寝よう。

3人の夏休み、終わらない課題

クーラーがほとんど要らない。むしろ寒くて、タオルケットの取り合いをしなければならない。そんな日が数日続いている。

お盆が終わったのに、旦那はまだ夏休み。正直、長いなぁ、どんだけホワイト企業なんだ?って思っていたのだけれど、気がつけばもう木曜日。

何してたっけ?驚くほど平和で穏やかに、例えるなら少し風が強い日の流れる雲のような、あっという間の休日だった。

図書館で借りた本はまだ1冊も手をつけていない。1度読みきっている『スロウハイツの神様』がまだまだ読み終わらなくて、どうしても後回しにしたくない気持ち。研修の課題もやらねばならないのに、気持ちが向かなくて、頭がちっとも休まらない。

やりたいことがいっぱいある。気持ちも部屋も整理したい。でも、まだ、本の世界に籠っていたい。気持ちが前に進めるようになる頃には、今年が終わっているかもしれない。

雪国なんて、一生戻りたくないと思っていたのに、雪の中に飛び込みたい、橇で山を下りたい、スケートもしたい。煩わしくて、鬱陶しいと思うほど、当たり前に雪の季節を経験してきたけれど、娘はそれを知らないまま大きくなるのだ。冬はなかなか帰省できない。交通機関がストップして、何時間も電車に缶詰めというのも珍しくないからだ。


寂しくて、寂しくて、疲れてしまった。目的もなく、興味の向くまま歩き続けていると、なんだか入っては行けないところにたどり着いてしまった場違い感。子どもを抱っこしていなければ完全に不審者だ。今日迷い込んだ道は、たぶんもう2度と行けない。

本の世界は、自分がいつ、どこにいても変わらず、いつも同じ物語を見せてくれる。だから今、それにすがりたいんだ。

過保護のカホコ』、カホコの母とその妹ふたり、揃いもそろって腹が立つ。たまきちゃんはまだ良いけど、泉と節がなぁ…他人の話を聞かない、ひとりよがりなのがすごく不快。旦那たちは下手に立つなと思うし、糸ちゃんもっとやれーと思う。カホコより成長すべき人間がたくさんいるよね。


Family Song (初回限定盤)

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父母娘の3人だけの暮らしが、20年も続いたらどんな感じなんだろう?って、カホコを見ていても全然想像できない。