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ゆー and みー with104

20代専業主婦の育児、生活、漫画と本の話。嬉しいことも苦しいことも笑いに変えて前向きに生きたい人へ。

激熱!無料の動物園

東京に帰省中。

みーみーを歩かせて、
電車に乗って…
荷物が多くて大変だったけどギリギリお昼前に到着!

場所見知り、人見知りするかなーと思ったけれど、
不思議なくらいいつも通り。

いたずらもしないし、絵にかいたようないいこちゃん。

実は私には、最近ニートになったらしい妹がいるのだけれど、妹を空気のように扱う、空気の読める1歳児みーみー。

父母の前でしか話さないみーみーが、いつもより多めにしゃべりながらお絵描きに熱中。
描いてーばかりで、いつもは自分から描くことはないのに…

いつもより違うことをして、いつもと違う一面を見るのは、親にとっては楽しい。


そして、念願の動物園!
上野ではなく、江戸川区の自然動物園。

無料なのに珍しい動物もいっぱい。
大人でも楽しめます。

ところが、
みーみーは、入り口の噴水に夢中(笑)
「すごい!すごい!」

動物見に行こうよー!

なかなか動こうとしなくて、
引きずりながら中に入ると、

最初に見えたのはペンギン。

「ペンギンだよ」
「ペンギン!」

ひとつひとつ、じっくり立ち止まって、飽きもせず見つめ続ける。

名前をひとつひとつ声に出して確かめながら、
様子を観察する。

「すごーい」

「ゆっくり」

「かわいい」

本で見た動物、歌に出てきた動物が目の前にいる。

頭のなかで、なにか結びついたかな?

私は赤ちゃんをおんぶするサルたちがかわいいと思ったけれど、みーみーがかわいいと言ったのはカメでした。

カメも何種類もいて、小さなものから大きなものまで。

この前来たときはまだ0歳で、あんまり反応がなかったのだけれど、

自分で歩けるようになって、
自分の意思で見たいものに近づくことができるようにもなったから、いっぱい楽しめました。

また行きたいなぁ。

「やってみた」を積み重ねる意義と日々のあれこれ

朝、目覚めたら、またパンデミックがやりたくて仕方がなくなっていた。


さて、どうやったら勝てるだろう?

どうしても勝ちたいという気持ちが、
正直面白いと思えなかった
第一印象イマイチだったはずのゲームに
私を執着させる。

としおに早く帰ってきてほしいと思ったのは久しぶりだ。

不純な理由だけれど、ある意味では仮面夫婦をつなげたと言えるのだろう。


そんな私、3月末は何もやらない、超クールダウンすることに決めました。

やりたいにとらわれない日々も悪くない。

罪悪感や自己嫌悪に陥ることなくダラダラするのは、傍目から見れば残念な人だろう。

でも、この際思いっきりラブライブ!に打ち込んで貯まりすぎたモブを全部処理したら、4月からまた新しいことをスパッと始められそうな気がする。

新しい家のダイニングの照明を購入した。
いってんもの。すごく気に入った。

醤油麹をつくってみようと思ってやってみた。
仕上がりは10日後。楽しみで仕方がない。


小さな「やってみた」の積み重ねが毎日を楽しくする。

今週末は東京に家出します。

夫婦喧嘩ではなく、ちょいと動物園に行ってみたくて。

亀井さんの影響。
動物って汚いし臭いから嫌いって思っていた私を、笑って潤んでワクワクさせた、
そんな仕事を何十年もやり遂げた彼に、
出会いたかったなぁ。

一期一会と言うけれど、
そのひとつの出会いがほんとうに大事なものかなんて実際にはわからないから迷ってしまう。
欲張り過ぎても良くないのだ。

先走って激しく後悔することもある。

でも、「やってみた」後悔は「やらなかった」後悔よりたぶん良い。

「やってみた」後悔は、
そのときは悔しくても、
どうにかして上書きすれば良いんだから。


それにしても、今年の冬はしぶとい。
未だに黒のダウンコートが手離せず、
いつまでも太ったカラスの姿だ。

久々に、大学に行ってみたいけれど、卒業式に、入学式に、部外者がウロウロできる時期じゃないから、もう少し温めておこう。

仮面夫婦は協力型ボードゲームで仲良くなれるのかやってみた

としおと私の数少ない共通の趣味、それは、ボードゲームやカードゲームのようなアナログゲームである。

2年前、仮面になりかけの頃、毎晩のようにハイキュー!!のバボカを一緒にやったし、拡張もした。

大晦日には旅行用の小さい人生ゲームを買ってきてやった。

ポケモンカードを発掘して遊んだこともあった。


今回は、突然としおが、

ボードゲームやりたいね」

と言い出した。

いつもなら、「引っ越したら」と言うのに。

なぜか今回は買ってしまいました。


それが、協力型ボードゲームパンデミック

「プレーヤー同士で勝ち負けを決めず、協力しあって勝ちを目指したら、われわれ仲良くなれるんじゃない?」

そんな思惑のもと、早速やってみた。


ルールを理解するまでに、箱を開けてから約40分。

トリセツの日本語、よく分からない。

YouTubeの解説を15分視聴してとりあえずやってみようということに。

なるほど、特効薬を作ればいいのね。


およそ45分後。
人類は滅亡した。

こり「ねえ、友達が欲しいね…」

としお「1人2役する?」

苦笑

ふたりでやってもイマイチ盛り上がらない。

イベントカードやそれぞれのキャラの特徴をつかんで駆使しないと勝てないし、なんたって協力感がでない。

回数をこなして、慣れて覚えながら強くならないといけないゲームらしい。

黙々と自分のコマを進めるだけじゃダメなんだ。


仮面夫婦、学んだけれど、仲良くなる以前の問題でした。

ルールを理解する段階で喧嘩にならなかっただけマシである。


でも、

私、このゲーム楽しいと思ってやれる日が来るのかなぁ…

文芸批評には何の意味がある?

先日、灰谷健次郎の批評本を借りて読んでみました。

黒古一夫灰谷健次郎ーその「文学」と「優しさ」の陥穽』という本です。

すべては読めませんでした。

好きな作家を否定された、批判されたことに対する不快感はないのですが、批評するにしても、なんだか言葉選びが非常に大人げなくて不快なのです。


また○○をダシにして××を語るとは

うっとうしい

まるで、上司の悪口を言いまくっていた昔の私だ。

これが学生の書いた批評ならば、こんなにたくさん書けてすごいなと思えるかもしれないが、大の大人だ。

全部読まなかった。読めなかったという感想を述べたならば、「逃げている」なんて言われそうだ。


私自身も、灰谷健次郎作品は「性善説」だなぁと思いながら読んできたし、彼の掲げる教師像をすべての教師に求めてしまったら、必要なだけの教師を集めることは絶対にできないと思っている。

学校や生徒より家庭が大事な教師も当然いて、それを絶対悪とは思わないし、特別支援学校は必要だと思う。

このように、彼の意見すべてを肯定しているわけではないけれど、究極の理想を掲げたメッセージ性の強い小説に対して、「そんなの無理だよ」と一蹴するつもりもない。

一個人の意見を、小説にして発信する。
そのために創られた登場人物や自己の経験に基づいたテーマが、現実的ではなくて何が悪い?

たしかに、小説を読む人間が、そのなかに書かれた一部分を事実として受け取ってしまうことはあるかもしれない。
でも、それはフィクションだと、きちんと断りがあるではないか。


作者が自由に創作しても良いはずの小説で、現実のこの部分を踏まえていない、という批判はどうなの?

まして、作品とは関係なく、作者個人の言動にまでケチをつけ、本にする必要性って何?


私にはわからないのです。

小説って基本、みんな娯楽の一環として読んでいると思います。

誰かに強制されるわけでもなければ、娯楽に思えない人は小説を読まないでしょう。

娯楽としての読み物にケチをつけるのは誰のためなのでしょう?

娯楽を超え、生き方に大きく影響を与えてくれるような作品との出会いもあります。

そんな単なる娯楽ではない読書体験を与える小説でさえ、批評の意義がわかりません。

作者自身の文章力向上のため、評価としての批評なら理解できます。

でも、読者は、大学で研究対象にでもしない限り批評を読む必要はないのでしょうか。

これに関しては言い切れませんが、読んだ私はなかったと感じています。

それとも、別の批評を読んでいたならば、ここまで拒否反応はでなかったでしょうか?

亀井一成『チンパンジー神ちゃんの日記』

灰谷健次郎の『天の瞳』で引用されていた本を図書館で借りて読みました。

主人公倫太郎が通う『なんでも学校』というフリースクールの講師として、チンパンジーを家で育てた飼育員さんが出てくるのですが、この本のまんまでした。

子ども向けに書かれているので字が大きく、言葉は易しく、読みやすいのですが、親子で一緒に読むべきです。

じわーっと目の奥が熱くなります。

もし今、自分の子どもとの関係がちょっとギクシャクしているのなら、この本を読んで見てください。

子どもを抱きしめたくなります。

今日、気分を変えるために、
新しい母となるために、
まず形からということで、

伸ばしていた髪をバッサリ切って、
10年ぶりに髪を染めました。

駅まで歩いて見送ってくれた娘に、
「これが母の最後の姿だった」という気分で別れ、
美容院へひとり向かう。

本当は、全く違う色、例えば緑っぽい茶色みたいな感じにして、桐生くんに頭をポンとされる妄想でもしてみようかと思いもしたけれど、そんな勇気はなく、控えめな赤茶色。

刈り上げしなくていいギリギリのショートボブ。


少々脱線しましたが、
染めている間にこの本を読んで、早くみーみーに会いたいなぁってうずうず。

飼育員の亀井さんは、生後10日で母を亡くしたチンパンジーの神ちゃんを自宅で育てることにした。

奥様と息子さんは反対。

大事に育てて可愛くて仕方がなくなった頃に動物園の檻へ返し、しかもそのあとはみんなすぐに死んでしまうでしょ?

これまでの経験からそう言ったのだそうだ。

でも、結局家族みんなで愛情をもって育てるのです。病気のときは心配し、人間のお医者さんに相談しながら慎重に試行錯誤。

寝言を言ったり、トイレで用が足せるようになったり、そんな成長を親として楽しみ、喜んだり。

それらはみんな、人間が自分の子どもを育てるのと全く同じ愛情です。

亀井さんとその家族の神ちゃんに対する愛が、
バタバタして思わずよそ見をしてしまいがちな私に、子育ての感動を思い出させてくれました。

神ちゃんを、もう家には連れて帰らない。

その決心が鈍る気持ちは痛いほど伝わります。

あらいぐまラスカルのラストを思い出しましたが、
檻のなかでギャーと叫ぶ神ちゃん、
それを見て涙する亀井さん、
ふたりの物語はフィクションではないのです。

神ちゃんの本当の幸せを願って、少しずつ子離れしていく亀井さんは親の鏡。

この本は、私が生まれる前に書かれた本で、亀井さんはもうお亡くなりになってしまったそうで、寂しいのですが、私は裏表紙の幸せそうなふたりの写真がとても好きです。

入手できればいいのですが、絶版。
また、絶版探しの旅に出ようかしら?

奇数が与える不安に打ち勝てない私の話

予想通り、1日寝たらすっかり良くなった私。
昨日は弱々しく、アンパンマンで散々甘やかし、
さすがの娘も空気を読んでいい子にしていたのですが、
本日、病み上がりとは思えない鬼ババと化した私。

積み木が1ピース足りない‼

私、この、ひとつだけ足りないっていう状況がどうしてもダメで…1日中探しました。

「見つかるまでは一緒に遊ばないよ」

「ものを大事にしない人は大嫌いだっていつも言ってるよね?」

「ただでさえ他のお友達よりおもちゃ少ないのになんでなくすかなぁ?がっかりだよ」

「どうしてこれっぽっちのおもちゃも管理できないのよ?」

1歳児相手にこんなに怒りながらずーっと探し続けて、見つかったのは19時。

ティッシュのケースのなか。

なんでこんなところに?
ん?だれが?

「怒り過ぎてごめんなさい。」

と謝ったのは私。

昔は、親になる前は、こんなに怒る人間じゃなかったのに、どうしてこんなふうになってしまったんだろう?

病気かな?と思うくらい、え?なんでこんなことで?という些細なことで怒っている。

イヤイヤ期なんてどうってことない。

わーホントにイヤって言うんだウケるーW
くらいにしか思っていない。

怒るのは今日みたいに、何かをなくしたときと、自分の所有物を触られたとき、料理中に手を出してきたとき、交通ルールを守らないとき、暴力を振るったとき、身支度をしないとき。

つまり、ざっくり言うならば、他人やものを大事にしないときと危険なことをしたとき。

私はしばしば心も身体も傷つけられて、その度に怒っている。

他人の気持ちを考えなさいと言ってもわからないことを知っていながら。

もうちょっと優しくなりたいけれど、優しく言ってきちんとしてくれた試しがない。

「そんなことされたら、ママ悲しいな」
という模範解答をそのまま使って、やめてもらっているママを私は見たことがない。

悲しいことをされて、やめてもらえなくて、悲しみが怒りに変わって、本格的に怒っているか、呆れてスルーするかのどちらかだ。

もしくは、子どもの奴隷になったかのように、振り回されてしまうか。

じっくり、ゆっくり待つこと。
自分から動き出すまで相手にせず涼しい顔をしながら自分の仕事をすること。

そんな対策を立てて怒らないを目指したい。

でも、今日みたいに、何かが見つからない、足りないというとき、私は冷静でいられない。
たとえそれが、自分の所有物でなくとも。
それは困った。

イヤイヤ疲れ、力がでない

悪寒と頭痛と吐き気と下痢に腹痛と微熱。
おまけに身体の節々も痛い。

大したことではないのだけれど、プラス子育てというプレッシャーが動悸を起こす。

これが1番辛い。

近くに双方の両親もいないし、車もないというのはこんなときに堪える。

としおが半休を取って買い出し。
その間に眠った。

運良くみーみーも寝ている。
レトルトのお粥を買ってきてもらったけれど食欲がない。
起きてからゆっくり準備する。

こんなときに限って、抱っこを私にせがむ。

「マミーは心が汚れて力がでない」

そんな言い訳通じないのだが、無理なものは無理で、

「新しい母だよ!」

と誰かが現れてくれることを願う。

としおはなんだかドビーみたいだ。
顔もちょっと似ているし。

酷使してはいけないような気持ちにさせられるのに、いいしごとしてもらわないと私は何もできない。

ハリーよりうんと活躍して死んでいくんだよね。
としおを何かのキャラクターに例えると、そういうキャラが多くなる。