panda life

白も黒もどちらも私。20代専業主婦の育児、生活、漫画と本の話。

ゴールデンウィーク後半

今週のお題ゴールデンウィーク2017」


5月5日
デジモンアドベンチャーtri.の1章を見る。

としおが手作りおもちゃにハマる。
段ボールで、ビー玉転がしを作った。

このクオリティの高さと言ったら!
としおのスペックの高さに脱帽。

みーみーも気に入って熱中。

5月6日
建設中の家を見に行く。
外壁を塗るところで、なかには入れず。
近所の親切なパン屋さんで、パンを買って食べる。

5月7日
朝、久々にプールへ。みーみーは、「楽しかったね」と言って昼寝♪

午後はごはんの買い物。

締め括りはビールと栗、進撃の巨人

アニメオリジナルのシーンがあった。
それは、原作の、何気に好きなシーンがないことを意味する。
でも、映像美と、美声というアニメの長所にうっとり。

映像は子どもの教育に良くないとか、想像力を阻むというけれど、人間のつくったものだから、何らかの感動や癒しの力はあると思う。

アンパンマンが、みーみーを幸せにするのと同じで、私はライナーの声にときめく。

鎧の巨人だと暴露する狂った演技も、エレン達に湧いた情と未練を堪えて巨人化するシーンも、エレンの涙も、アニメで見ると、よりじわーっとくる。

その高揚と共に、静かに眠りに落ち、今年のGWを終えよう。

GWに見たい!懐かしのアニメ、デジモンアドベンチャー

今週のお題ゴールデンウィーク2017」

なんだか急にデジモン(無印)が見たくて見たくて震える母ブロガーです。

空と太一に会いたい。
毎週楽しみに見ていた当時、私はふたりと同じ小学5年生だったから、もうあれから18年か…
ひとつの話を4回くらいずつ見て、台詞を完全に覚えてしまうような、ひどいハマりっぷりだった。

今思い出しても、やっぱりのめり込んで当然の作品だったなぁと思う。

それぞれの個性的なキャラクターが自身の長所や短所と向き合い成長していく。それぞれのパートナーデジモンもそれに伴って強くなる。

トーリーに共感するだけでなく、
恋愛ネタを自由気ままに妄想する余地もあり、
多方面で楽しみ尽くすことができた。
(02はその点、描かなくてよいところまでやってしまって、多くのファンを嘆き悲しませてしまうのだけれども)


最近のアニメって、深夜に偏りがちだし、ラノベや漫画の宣伝要素が強すぎて、ブルーレイやDVDが売れずに半端に終わって忘れ去られる作品が多いのが残念。

子どもが夢中になって楽しんで、大人になっても不意に思い出し、また見たいなぁと思える作品、今の時代の子どもにはあるのだろうか?

私くらいの年代の人達が楽しんだ作品は、最近になって復刻版や続編が出ている。

セーラームーンカードキャプターさくら、ママレードボーイ、おじゃ魔女どれみ…そして、デジモンデジモンアドベンチャーtri.が出ている。

面白いのは、それらに食いつくのが、今の子どもではなくアラサー世代だということ。

もう会えることなどないと思っていたキャラクターたちとの、まさかの再会に驚き、喜ぶ。

生身の人間じゃなくても、かつて大好きだった何かとの再会は嬉しいし、高揚するし、幸せな出来事に違いない。

ゴールデンウィーク後半は、そんな「再会」を楽しみたいと思う。

重い思い。鬼ごっこな日々

「ダディさん大嫌いーいらないーマミーちゃんがいい!」

最近のみーみーの口癖。
ひどいwww

そして、私は、重い。
物理的にも、精神的にも、かなり堪えている。

必要とされることが嬉しい反面、重い。

思えば、友達関係も恋愛関係も、追われることがかなり苦手だった私。

頼りにされたり、好かれてちやほやされたりするのが嫌いで、それならいっそのこと嫌われてしまう方が楽だとさえ思った。

孤立するのも嫌いじゃなかった。一人で音楽室や体育館に移動するのも、お弁当を食べるのも。許してくれないのは自分自身ではなく、他人で、それもまた重かった。

その感覚が親になっても抜けない私にとって、自分の娘から必要とされることも例外ではなく重いのだ。

重いというのは、怖いという意味でもある。
必要とされることが怖い。私でなければダメだと依存されることが怖い。追われれば追われるほど、逃げたくなってしまう自分がいて、逃げれば逃げるほど、ますます追われるのだ。

しかもこの「マミーちゃんがいい!症候群」、ふたりのときより、3人のときの方がひどくなるから厄介。

朝昼晩3回の食事が3人分、しかもひとりは朝遅く起きてくるので実質二度手間。洗うお皿の量も、おかずの量もいつもより多い。

人手はたくさんあるはずなのに、余計に忙しく、心身ともに激しく消耗する。

平日なら気合で乗り切るけれど、休みの日は、無意識のうちにゴロゴロして昼寝を始めている奴が目につくから、イライラ倍増。

掃除機をかけたいのに、動物園の猿の赤ちゃんのようにしがみついてくる人がいるし、私が皿を洗っている間に下の世話くらいはやってほしいのに、「マミーちゃんがいい!」と逃げ回るし。

気持ちに余裕がなく、公園でぷっつん。
他の人達が振り向くほど怒ってしまった。

一緒に、まるで死んだように眠りに落ちた。
もう、いつまでも死んでいたいと思ってしまうほど気持ち良く眠る。


それくらい疲れてしまったのだけれど、今日は2つ嬉しいことがあった。


その1 みーみーがはさみを使えるようになった。

いちいち手を出すより、自分で考えてやってみることが大事だと改めて感じた。

その2 みーみーが自分からお片付けを始めたこと

この前のモンテッソーリ体験の成果?
おもちゃのレイアウトを家でも真似してみたら、少しずつ散らかりが改善している。


やっぱり、
子育てより自分育てが難しい。

なんで育ててくれなかったの~?と親に文句を言いたくなってしまうくらい、自分が自分であることが辛い。

そういえば、結婚式で、両親への手紙を読むどころか書きもしなかった私。

何を言ってもわからない、何度言ってもわからない子どもの相手や、その下の世話の大変さはよくわかったけれど、まだまだ感謝の手紙は書けそうにない。

真っ暗な部屋に閉じ込められたこととか、手をあげられたことはよく覚えている。

私はそれを自分の娘にやってはいけないことはよくわかっているのだけれど、あのときの親と同じ気持ちになったとき、私はどんなふうにその気持ちを発散させたら良いのか、親になってもうすぐ2年経つのだけれど、まだわからないのです。

Golden Weak

今週のお題ゴールデンウィーク2017」

GW1日目。

としおの実家に帰省し、数年ぶりに共通の友人と再会ランチ。

会って話すのは結婚式の二次会以来。

出産祝いをいただいて、内祝いを送るというやりとり以後は、なかなか予定が合わず会えないままでいて、みーみーがもうすぐ2歳というところでやっと会えた!

子連れランチということで、以前のように昼からふたりでビールを飲み、好き勝手おしゃべりというわけにもいかず、あまり深い話もできなかったから、後になって、「あぁこんな話もしたかったなぁ…」と色々思うこともあるけれど、これを機に、また気軽に会えたらいいなと思う。


GW2日目。

としお、夜に同窓会。
私とみーみーは、妹の家に1泊。

みーみーが、イオンでアンパンマンのカートに乗りたいというので、じいじに連れていってもらう。

ちゃっかりゲームセンターでアンパンマンの乗り物に乗せてもらっていたのを見て笑う。

上手に喋れないのに、おねだりが上手なみーみー。

お昼ごはんを食べたらすぐに帰ろうと思っていたのに、なぜかみーみーを連れて公園で遊び始めたとしお。

実は、私は朝ごはんも昼ごはんも足りずお腹が空いていて、足りないと言ったところで気を遣わせずに出してもらえるのは炭水化物しかないことをわかっていたから、さっさと妹の家に行き、何か食べたいと思っていた。

そのあたりのことを、としおは察してくれないのだ。故に、後々不仲の原因となる。LINEで散々文句を言ったものの、お腹が空いて力が出ない私は、昼寝をして空腹に耐えた。

いつもならふたりで半分こするようなノルウェーサーモンを一人で買って食べた。もやしでかさまし、具だくさん味噌汁と久々のしろめし。

みーみーもいつも通り食べたのだけれども、
昼寝したはずなのに、なんだか動きや反応が鈍い。

嫌な予感がして、頭に手をあてると熱い。

え?と思うほど熱い。

慌てて熱を測る。38.7度。

お風呂は諦めて、パジャマに着替えさせ、布団に入るとすぐに眠った。

しかし、1時間後。汗びっしょりになって泣いている。そして、熱い。

抱いた瞬間に、私まで水分を奪われるほど、汗がうつって喉が渇くほど熱い。

麦茶を飲んで、そう言っても苦しすぎて取り乱しているみーみーはなかなか飲まないし、暗い寝室が嫌だと言う。落ち着くまで明るい部屋で抱っこしながら座ってゆらゆら。
再び、着替えさせる。

次に起きたのは22時。さらに熱い。40度くらいあるんじゃないか?というくらい熱い。39度。みーみーは自分の足で立つこともできなかった。

夜間救急はヤブ医者ばっかりというのは何度も経験済みなので、なんとか夜を越さなければという気持ち。お腹の上に乗せて、一緒に汗をかきながら4時30分まで眠る。


GW3日目。

一晩越せば少しは落ち着くかと思っていたけれど、朝起きてもみーみーはびっくりするくらい熱いまま。

医療証はないけれど、最寄りの小児科で薬をもらってから家に帰ってきた。

みーみーは自分で歩いたり、公園で遊びたがったり、気持ちは元気なのだけれど、まだ熱がある。

私達もすっかり疲れてしまった。
オール明けの朝、一人で電車に乗っているときみたいな感覚。
残念ながら、家のベッドにたどり着いてホッとして、夕方まで眠ろうという快感を味わうことができない点が違う。

さっきまで休憩なしで生活し、ようやく、としおがもらってきた引菓子を分け合って一服しているところだ。21時までには寝ようと思う。

こんなわけで、序盤から弱っているゴールデンウィーク

じっくりパソコンでブログを書く時間もつくりたいのだけれど、生理的欲求を満たさないと…

サクサクのコロッケとチョコ味のバウムクーヘンに感謝しつつ、夢の中では幸せに過ごしたい。

環境が変われば人は変わる?/モンテッソーリ教室の体験を受けてみた

遊びに対してどうも受け身なところがあるみーみー。何でもかんでも「やって!」

お絵描きも砂遊びも、じぶんで楽しもうという発想に至らないのか、楽しませてもらおうという姿勢なのだ。

今まで、特にやり方に文句を言ったわけでも、怒ったわけでもないのに。

自分で楽しめないなら、違うことをやればいいのに。

自分の娘だけれど、理解に苦しむし、観察対象として面白くないし、成長も見られないのは楽しくない。

最近はそんな気持ちで娘に接していました。


ぷっつん。

「ねぇ、なんで私の嫌がることばっかりするの?」

約束を守らない。やる、やらない、はっきりしない。いわゆる反抗期。

やりたいことを自分でやって、やめたくないならまだかわいい。
やめたくないことが、やってほしいことだから厄介なのだ。


悪く言えば、受け身で消極的で面白味のない子、そのくせ、やめて!それをされたら嫌だよ、という行為は、ものすごく怒らないとやめない。

こちらだって怒りたくて怒っているわけではない。
怒るほど追いつめられるのだ。


良い見方をすれば、みーみーは用心深く慎重派。
じっくり観察して、ある程度特性をつかみとってからようやく動く。
外ではわがままを言わず、誰にでもニコニコする。
友達のものを取ることは決してしないし、友達が自分のものを使いたいときはきちんと貸せる子だ。

つまり、みーみーがわがままを言うのは私に対してだけ。わきまえている。

母親としては、その気持ちを受け止め、みーみーのペースに合わせてあげるべきなのだろう。

しかしながら、私には、自分に対して嫌なことをする人間に、優しくしてやれる器がない。それが自分の子どもであっても許せないものは許せないのだ。

変わるなら自分が変わるしかないのになぁ…と育児より育自の難しさを痛感している今日この頃。


モンテッソーリ教室の体験に行ってみたのは、受け身なみーみーが自発的に遊ぶところを私が見たかったから。

みーみーは遊べるのか?

体験なのでたった60分。

60分って、他のお教室よりは長い設定なので、
最初は「たった」なんて思わなかったのだけれど、
まだまだ遊び足りない様子で、観察していた私にとってもあっという間でした。

「好きなので遊んでいいよ。」

先生に言われたものの、何をどう使ったら良いのかわからず、教具を選べないみーみー。

「これはどう?」と提案されたのは、


蓋に穴の空いたガラスの瓶とビー玉。

ビー玉を穴に入れるというおしごと。

これにハマったみーみーは20分くらいそれを繰り返した。

「他のもやっていいんだよ」

次に出してきたのは

トングとお皿、バナナ、イチゴ、ブドウの消しゴム。
トングで消しゴムをはさみ、お皿にのせるというおしごと。

お皿はしきりがあって、種類別に分類できるようになっていたけれど、器からお盆にのせて終わり。

次はストローをコップの穴に入れるおしごとをやり、そのあとは、モールにビーズを通すおしごと。

どれも集中して取り組んでいて、母の顔なんて見ようとしない。

できなくても怒って投げ出すことも、いつものやって!もなく、一人で向き合っている。

ときどき先生の顔を見て、「やるから見てて!」と口では言わず目でアピール(笑)

最後はもう一度、ビー玉をとってきて、
他の教具のトングをもってきてビー玉を摘まむ。

そんなふうに自分でおしごとを発展させ、難しいものにしている様子も感心。

飽きることなく、終わりと言われてもまだまだやりたい。

私も時間で区切りたくないなぁと思ってしまった。


環境が違うだけで、大人の気の持ちようで、こんなに子どもは変わるんだ、こんなに自分の中のやりたい!と向き合えるんだ。

時間に縛られる生活、時計ばかり気にして、制限を与えるのは大人の都合なんだ。

安心して自分のやりたいことをできる環境、時間、空間をつくって、温かく見守れる親になりたい。

この興奮、高揚をとしおに伝えて、GWは思いきってこの部屋を大改装したい。残り少ないアパート生活でも、できるだけ、幸せに、温かく過ごせるようにしないと。

「自分でやりたい」を引き出す育児

「やってみたい」「やりたい」よりも、

「やって!」が多いみーみー。

できなくても怒らないのに、

「やってみない?」と言うと

「やらない、やって!」が返ってくる。

特にお絵描き。

見るのは好きだけれど、自分で描く楽しさはまだ知らない。


「やりたい」を聞き漏らさないように、

できるだけ叶えてやれるように機会や環境を与えたいと思っているのだけれど、なかなか難しいのです。


今日のやりたかったこと、砂遊び、水遊び。

とことん付き合おうと決めたけれど、あっという間に服がびしょびしょ。

これが真夏ならなんてことない。

でも、今日は風が冷たい。

「着替えをしてからまた来よう」

納得しないみーみー。

「風邪引いちゃうよ」

気が進まない様子。家とは反対の方向に歩き出す。

「風邪引いたら誰が面倒見ると思ってるの?大変なのは誰なの?」

私だ。

気が短い私は、こんなことを言う。

すると、仕方なくうなずいて、家の方へ歩いていく。

最近、こんなふうに、自分以外の誰かについて語るとすんなり事が進む。

この服は着たくない。

「おばあちゃんが買ってくれたんだよ。」

!
「着る!」

「この野菜はパルシステムのお兄さんが持ってきてくれたんだよ。」

ニコ
「食べる」

素直でかわいく育ってくれていると喜ぶべきか、
少々厳しすぎるのでは?と考えるべきか、

育て方、迷うなぁ。


絶対に許さないことは、危ないこと、他人の嫌がること。大きく言えばこの2つ。

やめてと言ったとき、3回目でやめなければ怒る。
相手にするのをやめる。

嫌な思いをしているという意思表示をしているにも関わらずやめないのは、他人の嫌がることをしていると見なす。

マナーやルールを守ることは、他人に嫌な思いをさせないための最低限の義務だと思っている。

交通ルール、食事のマナー、身支度や身だしなみをきちんとすることで、ケガの防止にもなるし、みんなと気持ち良く過ごすことができる。

服をきちんと着ないで走り回り、引っ掛かって転んだときには同情しない。

自分で蒔いた種だよ、と教える。

そんな私は冷たすぎるだろうか?


やりたいことはやるべきことをやってから。

遊ぶ前に、着替え、洗顔、歯磨き、トイレを済ませること。
外で遊ぶ前に、掃除、洗濯、食器洗いなどの家事を一通り済ませること。

私はこれを当たり前にしたい。

子どもに合わせて家事を後回しにしているお母さんもたくさんいるのだろうけれど、そして、そういうお母さんの方が望ましいのかもしれないけれど、私はそういうお母さんにはなれない。

自分のことは自分でやる、が基本だと思っているので、家事=母の仕事、やってもらうのが当然だと思ってほしくない。

強制はしないけれど、洗濯物の干し方を教えてやらせてみる、掃除機を使わせてみる。

私一人でやった方が早いし、上手にできないけれど、できた!という感覚を少しでも身につけて、少しずつでいいから生活力をつけていってほしい。

こうしたい、自分なりの考えを持って、それに沿ってやっているけれど、私はカリカリしているし、「やりたい」はうまく引き出せないし、少し軌道修正が必要だと感じている。

意見をもらいたいな…


たんぽぽを摘む。

ポケットに入れて、と言われて、ポケットにしまう。

綿毛になれず、「あいたい」という気持ちを満たされることなく生涯を終えた黄色の花を少々気の毒に思いつつ、娘の遊びに付き合う。

今日は、綿毛飛ばしに没頭した。
息を吹きかけて飛ばす力がないから、手でむしって風に乗せる。
すぐ足元に落ちるもの、遥か遠くに旅立つもの、さまざま。

それぞれ、運命を風に任せて受け入れ、生きているその花を見ながら、世界で1番きれいな花はたんぽぽなんじゃないかとふと思った。

今でも心に残っている好きな絵本5選

好きな絵本は?と問われたとき、
パッと思い浮かぶものが少ないことに自分でも驚いた。

好きな小説、好きな詩集であれば次々と浮かぶのに、好きな絵本となると、とたんに詰まってしまう。

子どもの頃に読んだ本がつまらなかったわけではない。覚えていないわけでもない。

でも、本が好き、物語が好き、もっと読みたい、出会いたいと思い始めたのは、本から絵がなくなった時期だったのだ。

そんな私の『好きな』絵本を紹介しようと思うのですが、
いったい誰に対して、
いつの自分の感覚で『好き』を伝えたら良いのでしょう…

迷走しながら書き連ねていこうと思います。


1.ちいさいおうち

ちいさいおうち (岩波の子どもの本)

ちいさいおうち (岩波の子どもの本)

初めて出会ったのがいつだったのか、
全く覚えていないのだけれど、
妹が母に読み聞かせされているのを二段ベッドの上で聞き流していたような気がする。

大切にされてきたちいさいおうち。
おうちはまったく変わらないのに、周りがどんどん変わっていく。

人でも動物でもない、『おうち』に愛しさを感じて、胸が締め付けられたり、ホッとしたりさせられる。

トーリーだけでなく、カラフルな点描の絵も美しい。

大人になっても、むしろ大人の方が深く味わえる絵本。


2. だいじょうぶ だいじょうぶ

だいじょうぶ だいじょうぶ (講談社の創作絵本)

だいじょうぶ だいじょうぶ (講談社の創作絵本)

祖父から孫へ、孫から祖父へ、循環する家族間の優しさや思いやり。

『だいじょうぶ』の一言が、人をどんなに安心させ、前に進ませてくれるか。
それを人生のなかで学んできた大人も、
これから学ぶ子どもも、一緒に声に出して読みたい1冊。


3.だってだってのおばあさん

だってだってのおばあさん

だってだってのおばあさん

小学校1年生のとき、担任の先生が教えてくれた本。

読んだ当時は、幼いながらも、

元気に長生きして、大切な人と誕生日を祝い、はしゃぎ回るって良いなぁと思いつつ、

いつか終わる命、残される人のことをふと考えてしまい、ちょっと切ない気持ちになってしまったけれど、

そんなにあれこれ考えず、素直に楽しんで読んでいい本だと思います(笑)


4.もしもしおかあさん

もしもしおかあさん

もしもしおかあさん

いもとようこさんの絵にひとめぼれして何度も読んだ本。

自分が産んだ子猫たちがもらわれてしまって寂しくて泣くおかあさん猫がかわいそうで…

最後の1ページ、物語の終わりのその先を考えるともう…


5.わすれられないおくりもの

わすれられないおくりもの (児童図書館・絵本の部屋)

わすれられないおくりもの (児童図書館・絵本の部屋)

図書館でも読み、教科書でも読み、何度も読んだので心に残っている絵本。

アナグマの死を悼む残されたものたちが思い出を振り返ります。

私は冒頭の、死に向かうアナグマの描写が好きでした。



まとめ

ただ面白かった本より、切ないストーリーの方がずっと心に残っていますね。

うちではまだまだ一緒に楽しめる本ではないのですが、こういうのも楽しめる日が来たら嬉しいなぁ。