panda life

白も黒もどちらも私。20代専業主婦の育児、生活、漫画と本の話。

ただそこにいるだけでお金を稼げたひきこもりOLがニートになって、それから超アクティブな母になった話

こんにちは☆母ブロガーのKoriです。

今日は娘が昼寝してしまいました。

本当は私の方が眠くて、コーヒーが飲みたいがためにひろばから帰ってきたのですが…

 

普段生活していて、会社に属していたころの自分を思い出すことなんてあまりないし、誰が聞いても面白い話でもないだろうけれど、1回くらい書いてみようかな。

 

平日の過ごし方

※会社から徒歩5分の借り上げアパートに住んでいました。

6時30分 起床 朝ごはん お弁当づくり

洗濯とお掃除も済ませる

テレビ見てぼーっとする

 

8時50分 家を出る

 

8時55分 制服に着替える

 

9時00分 おはようございます

「何か仕事はありますか?」上司に尋ねる

「別にない」あら、そうですか

業務用メールチェック、転職サイトのメルマガも。

持ってきたTOEICの参考書か、教員採用試験のテキストを開いて勉強

 

12時00分 お昼ごはん 読書

13時00分 お勉強再開

17時15分 定時で退社

17時30分 帰宅、夜ごはん、お風呂

19時30分 就寝

としおから「今帰りー」と駅から家までの移動時間の暇つぶしで電話がかかってくる

適当にしゃべって、また寝る

 

え?仕事ないの?

まぁ、全くないわけではありませんでした。

私がやっていた仕事は、こんな感じ。

 

福利厚生の受付、内容を確認してハンコを押し、部長に提出する作業。簡単。

誰かが用紙を持ってこない限り仕事は増えません。

 

給料日前は給与計算をやっていました。おバカでもできます。勤怠表を見て入力、確認するだけ。すぐ終わる!

 

出向の外国人の方に何か連絡したいときの通訳係。日常会話なので、何の技術もいりません。

 

提案制度の受付、採点。この会社には提案制度というものがあって、業務に関する何らかの提案をした場合、それを提案用紙に書いて提出すれば、点数に応じて報酬が得られます。その管理をやっていました。

ちなみにこの提案制度、実行しなくてもいいんです。思いついたことをどんどん紙に書けば、1枚500円もらえました。例えば、「給与明細をWebにして、紙という資源を削減しましょう」と一言書けば、それを実現するための努力をしなくてもお金になる。

「水回りが汚かったので掃除しましょう。実際に掃除しました。」という提案でもオッケー。実際に掃除しているので、800円。

私は暇だったこともあり、この愚策を利用して、バンバン小遣い稼ぎしました。各月の提案の数で上位者になって名前も上がり、ボーナスの評価UP。

 

でも、どの仕事も、1日がかりでやるものではないし、毎日あるものでもない。だからどんなにゆっくりだらだらやろうとしても、すぐに終わって暇になってしまう。

「仕事ありませんか?」と聞いても「ない」と言われる。だからもう、開き直ってお勉強していました。TOEICもスコアに応じて報酬が出たので。

 

仕事がない話を他の部署の管理職の方に話したら、じゃあこっち手伝ってよ!と言われて、海外事業部に面倒を見てもらったこともありました。

 

暇すぎて気が狂った

学生時代のバイトの方がよっぽど大変でした。大変といっても、塾の講師って生徒が良い子だったらあんまり大変じゃない。それより、ずーっと暇。人生で一番暇でした。

それでも、他の社員と同じようにお金が入ってくる。

「仕事もせずお金をもらえてラッキーじゃん。」

そんなふうに言われることもありました。確かにそうなのです。

何もしていないのにお金をもらうなんて…という後ろめたさは全くなかった。

でも、お金のために、私の時間を無駄に会社に捧げることがバカバカしかった。

だって勉強なら家でもできるし、家でできることをやりに行くために往復10分歩くのってもったいない。

お昼ごはんだって、家で食べればその後昼寝できるじゃん。外食しに行く人もいるくらいだから、家に帰ったっていいじゃない。

最初はお弁当を忘れたふりをして始めたけれど、そのうち確信犯に。

一秒でも会社にいたくなかったから、家に帰って昼ごはんを食べるようになりました。

 

朝、どうしても頭が痛くて、身体も動かなくて、時計を見ながら気持ちは焦るのに、会社に行けない。着替えていつでも行ける準備はできているのに、足が動かない。

本当に、ほんとうに無理だと思って会社に電話して、休むことに、次第に慣れてしまった。

会社を辞める前はもう、お外に出るどころか、部屋のトイレ、寝床から3歩先のトイレに行くこともできないほど、心がボロボロ。

ごはんが食べられない。着替えもできない。お風呂に入ったかどうかも覚えていない。

事務的な手続きを済ませるために最後に会社に行ったときは、寝巻のジャージでした。

両親は、私が会社を辞めることはもちろん、せめて会社から離れた場所に引っ越そうとしたときに、保証人になってくれなかった。それがさらにあの時の私を追い詰めたのでした。

両親に内緒で会社を辞めた後、当然、借り上げアパートを出なければならなかった。

住所不定になることを避けるべく、慌てて探した住まいが今のアパート。

としおの会社の近く。保証人なし、機関保証を利用して、としおのお母さんの協力もあって、私はニートながら住む場所の確保ができた。

当時はそれなりに貯金があったので、光熱費、通信費は私担当。家賃はとしおという分担だった。家の仕事は基本全部私がやった。

 

親になってやっと「普通の生活」ができるようになった

会社を辞めてからも、しばらくは外に出ることができなかった。やっぱり布団から出ることもできず、トイレを我慢したり、ごはんを食べなかったり…

春、夏になるとだいぶ回復したけれど、冬になるとまた外に出られなくなった。

仕事がなくて暇すぎて気が狂っていたはずなのに、何にもやる気になれない、というか、やりたいことが全くわからなくて何もできなくなってしまった。

掃除や洗濯、料理などの家事は一通りやっていたけれど、それが終わると布団で寝てしまう。1日4時間以上昼寝に費やしていた。

 

そんな私が、親になって、急に変わった。

ひとりでは生きていけないときに、手を差し伸べてくれる人がたくさんいたからだ。

産後うつの症状で苦しんでいたとき、私は「虐待しそうで怖いから助けてほしい」と電話相談をしたことがある。

私は助けられた。その相談相手にしてみたら、それは報酬を伴う仕事の一環だけれども、その報酬以上の手助けをしてもらったと私は思っている。

「助けて」と誰かを頼り、助けてもらうことで、どうにか子育てをやっている。

怒ってしまう時もあるけれど、できるだけ怒らない自分でいたい、娘ができるだけたくさんの、いろんな人と出会い関われる機会をつくりたい、この2つの思いが私を動かした。

毎日、娘と外に出る。たくさんの人に出会って、笑顔で話すために。

娘のおかげでもう一度、外に出ることができた。たくさんの人に出会うことができたんだと思うと、ぎゅーっと抱きしめたくなる。