ゆー and みー with104

20代専業主婦の育児、生活、漫画と本の話。嬉しいことも苦しいことも笑いに変えて前向きに生きたい人へ。

「人間味」って何?ジャン・キルシュタインから学ぶ本当の人間味

こんばんは☆母ブロガーのKoriです。

 

学生時代、『アメリカの短編小説』という授業を取っていた時の話。

それは、教授に与えられた短編小説(原書)を読み、毎回の授業で担当の学生が自分の感想や議論したいことをレジュメにまとめ、発表するというものでした。

あまりに自由で制約がなかったから、内容を理解するだけで精いっぱいの小説のどこに焦点を当てて、何を話したらいいのだろうと不安な気持ちでいっぱい。

でも、1年生が多かったせいか、いつも特定の学生が好きなように発言するだけで、意見が割れて深い議論になることは全然ありませんでした。

 

だんだんみんなが授業に慣れてきて、どんなふうに発表すればよいのかつかめてくると、多くの学生がある流行語が生まれていました。

 

「この部分に主人公の人間味を感じました。」

 

私はそれにとても違和感を憶えた。

突っ込みたくて仕方がない、でも、じゃああなたはどう思うの?と訊かれたらうまく言えない。そんなもどかしい気持ちを抱えたまま、私は黙っていた。

教授がボソッと「人間味ってなんだろうね…」とつぶやいたけれど、誰も何も言わずに流れてしまった。

 

人間味って何?

たぶん、一般的なニュアンスは、「人間って完璧じゃないから、ときどき悪いと思いながら悪いことしちゃうよね。」という感じ。

何が正しいのかわかっているけれども、その正しい選択をせずに、楽な方、もしくは自分にとって都合が良い方を選んでしまう。

たとえ、自分のその選択によって、他の誰かが不利益を被るとしても、それをわかっていながら、つい誘惑に負けてしまう、それを「人間味」と表現する人が多い。

 

しかしながら、悪事を「人間味」のある行為だと言ってしまうことは、その悪事を肯定することにならないか。

「人間だからしょうがない、どんなに悪いことをしても許してあげなければいけないよ」と言われているみたいで、なんだか腑に落ちない。

そもそも、人間ってそんなに悪い奴なの?

私はそんな人間を「人間らしい」と思いたくない。

 

本当の人間味とは?

私が見るに一番人間らしいと思うのは、『進撃の巨人』に出てくるジャン・キルシュタインだ。



彼は、主人公エレン・イェーガーの訓練兵時代からの同期。巨人を自分の手で駆逐したい、その力をつけたいというエレンとは真逆で、「安全で快適な内地で暮らしたいから憲兵になりたい」という意志を持ち、実力をつけてきた。

巨人を倒すための人材を育成しているのに、力をつければつけるほど、巨人から遠ざかることができるという逆説を上手く利用し、自分さえ良ければそれでいいと思っているようなずる賢い嫌な奴だった。

ここまで見るとジャンは、一般的な「人間味」のある男だと言えると思う。

実際多くの人が、ジャンのこの面を見て、「人間味があっていい」とか「一番現実にいそうな人間」だと評価するだろう。

 

 

しかし、私がジャンを「人間らしい」と思うポイントはここではない。

 

結局ジャンは、自分が今何をすべきか考えたとき、自分の意に反する決断を出した。

「オレは、調査兵団になる」

これが私の考える「人間味」だ。

 

念願だった憲兵団に入る資格を得た、これで内地での安全快適な暮らしが保証される。

自分の望みが叶うところにいたのに、それを選ぶことができなかった。

 

自分には巨人と闘う力がある。

だから、人類の未来のために巨人と闘わなければならない。

 

彼は、ずっと蓋をし続けていた気持ちを優先した。

その決断こそが本当の「人間味」であってほしいと私は思うのだ。

 

他の誰かが嫌な思いをしても自分が得したいという人よりも、自分の選択によって他の人が傷つく方が嫌だと思える人を「人間らしい」と思いたい。

 

だって、自分を優先する人のほうが多数派だったら、みんなお互いを好きになれないでしょ?

 

ジャンのように、バカ正直に本音を公言しつつも、悪い奴になりきれない人の方が、世の中圧倒的に多いと思う。

 

少なくとも、私の周りではそうだ。自分のことばかり優先して嫌だなぁこの人、と思わせる人はマイノリティ。

そういう人間の嫌なところを「人間らしい」という言葉で受け流したくない。

 

悪い奴になりきれないのが本当の「人間」

多くの人間は、他の誰かの気持ちを考えて、時には自分自身の欲望を抑えることができる。お互いに妥協し合うことで、世界は回っているし、感謝し合うことができる。

ジャン・キルシュタインは、ただの嫌な奴ではないのだ。良心のかけらもなく、素直に憲兵団に入れたらどんなに幸せだっただろう。悪い奴になりきれない悔しさも感じていたに違いない。

ジャンは、自分の意志で調査兵団に入った。もし憲兵団を選んでいたら、きっと心のどこかにしこりが残っただろう。調査兵団に入った友のことをふと思い、さらにその友の死を知らされたときには、きっと罪悪感に苛まれる。

その苦しみを回避したいがための決断に、後悔するかもしれない。

それでも、選ぶのは…

ジャンの勇気、それは、同じような気持ちを味わったことのある私を救ってくれた。

 

だから私は、他人の傷に心を痛める人にこそ、「人間味」という言葉を使いたい。