ゆー and みー with104

20代専業主婦の育児、生活、漫画と本の話。嬉しいことも苦しいことも笑いに変えて前向きに生きたい人へ。

20代母の幸福論「あのとき」の幸せと「今」の幸せ

今日の朝、「ラブライブ!」にログインして、SRにこにーを覚醒しようとしたら、間違えて「通常練習」を押してしまい、覚醒できなくて心底落ち込んでいる母ブロガーKoriです(+_+)

あまりのショックに、ついつい妹にLINEで慰めてもらいました。どんまい。

 

最近、「幸せ」についてよく考えます。

 

「今、幸せですか?」と訊かれたら、

「そうですね。」と答えます。

 

でも、

「人生の中で一番幸せだったのはいつですか?」と訊かれたら、

「アメリカに留学していた1年間です。」と答えます。

 

じゃあ、

「今の幸せは、アメリカに留学していた時のそれより劣るってこと?」

ここで「はい」と答えなければ、矛盾が生じてしまいそうですが、

「そういうわけではない。」というのが私の答えです。

 

私はこの気持ちを、自分でどうにか紐解きたいなと思っています。

 

 

人生で1番幸せだったとき

夜は長く、朝が待ち遠しかった

アメリカにいた頃は、毎日が本当に楽しくて、夜になるといつも、早く朝が来てほしいと思っていました。

アルバイトもなかったので、夜の自由時間はとても長かった。

部屋で勉強して、ときどきyoutube涼宮ハルヒの憂鬱を見てサボりながら、あぁ夜って長いなぁ…早く寝て、朝を迎えようといつも23時頃には就寝。

 

この頃は、夜=部屋での独り時間だと思っていました。

ルームメイトもいたので、実際部屋にはふたりで居たし、仲も良かったのでお話することもありましたが、基本は特に干渉し合わず、それぞれの机に向かっていたので、独り頭の中で色々考える時間になっていました。勉強にはあんまり集中していなかったってことですね、はい。

 

恋をしていました。夜が長いと思っていたのは、単純に会えない時間が長いと感じていたからです。

ある日、なぜか私の部屋の床で、その私の好きな人が眠っていました。本当の話。

自分のルームメイトが彼女を部屋に連れ込んでなんか居づらいとかで、私のルームメイトに相談して避難してきたのです。

あのときのドキドキと言ったらなかった。面白すぎた。

長い夜が一気に縮んでしまったような、ベッドでぴょーんと跳ねたらくるんと回れてしまいそうなくらい私は動揺していたのだけれど、今思えば、この頃が1番「楽しかった」かもしれない。

この夜なら別に終わらなくてもいい。

でも、

明日が来る、つまり、私が早く起きれば、好きな人の寝顔を拝めるという貴重な体験ができる!それも、アリだwなんてね。

 

「あのとき」の幸せは、こんなふうに、「朝が待ち遠しい」という幸せだった。

 

別れのときが近づいたら、「朝」が途端に憎らしくなって、いつまでも夜が明けないでほしいと思っていた。

朝が来ること=幸せなときの終わりに一歩近づいた証となってしまった。

 

人生で1番悲しい気持ちだった頃、私は言った。

“Night is too short. The day is too long though...”

夜はあまりに短いのに、1日はとても長い。

大好きな人のいない1日は重すぎて、それならいっそ独りでずっと考え事をしていたかった。

夜、何とか眠って夢を見ている間だけは、悲しいことを忘れられた。

でも、朝、窓から漏れる陽を浴びて目覚めたとき、自分の大切な人が隣にいないという現実を突きつけられる。

明日も、明後日も、どんなに夜を越えても、私はその人に会えない。

その気持ちを飲み込んで起き上がらねばならないあの瞬間がたまらなく辛くて、私は泣いた。

あんなに要らないと思っていた夜の時間が、実はとっても大事なものであったことに私は気づいた。

独り朝を待ち望む夜を私は今でも無限に求めている。

本当は目に見えないはずの心に空いた大きな穴を、たくさんの友人が埋めようとしてくれた。

電話が着た。一緒にごはんを食べようと。

何度も。何人からも。

今でもそれを思い出すと泣いてしまいそうだ。

嬉しくて、嬉しくて仕方がないのに、穴は埋まらない。

でも、おかげで、穴が空いたままでもどうにか立っていることができた。

甘ったるいホットココアをゆっくり、ゆっくり啜って、憔悴しきった身体に全体に染み込ませた。

 

 

矛盾だらけの「今」の幸せ

私は今でも、無限の夜を求めている

独りの時間、じっくり好きなことを好きなように考える時間が無限にあればいいのにと思う。

好きなだけ眠って、好きなだけ夢を見て、うんざりしたとき初めて目覚めたい。

子育てが始まってからは特にそう思う。これは、生理的欲求に近い。

授乳で気持ちよく眠っているときに起こされたこともあったし、今でも様々な理由で安眠を妨げられるから、「眠れない」ということがとても怖い。

でも、「眠ること」ばかりに気を取られ、やりたいと思っていることをやれないのも怖い。

時間の使い方を決めるのはギャンブル。この不安定さを楽しめるほどの余裕は私にない。

その点で、私は今、「あのとき」ほど幸せではないのだ。

 

I wish time would fly like a light.

光陰矢の如しというけれど、私は光のように速く飛んでほしいと思ってしまう。

そういう意味では、朝が待ち遠しい

スケジュール帳のページをめくっていくのが好きだ。

自分が越えた時間を数えてホッとする。過ぎ去ったページが厚くなればなるほど、やったーと思う。

 

朝が待ち遠しいのに、夜は無限に欲しい。

早く未来に行きたい。未来に行ったら、永い夜を思いっきり堪能してやる。

そんな気持ち。

 

それで「今」本当に「幸せ」なの?

やっぱり私は「うん。」と答える。

でもその理由はどこにもない。

 

「今」というときを、私は必死に駆け抜けてきた。

「今」…みーみーが生まれてから今までのこと。

 

私は、今までに使ったことのない量のエネルギーを生み出し、消費して生きてきた

やりたいと思ったことは全部挑戦した。

知らない人達の中に自分からどんどん入った。

自分の好奇心に対して貪欲に生きるようになった。

 

そうしたら、

根拠のない自信に満ちあふれて、明るい未来を描けるようになった。

だから、「今」はちょっと辛いし大変だし、完璧ではないけれど、それを乗り越えた未来を想像できる「今」は楽しくて、幸せなのです。

 

「あのとき」の幸せは、今というこの瞬間が絶頂だと自覚できたから幸せだった。

だから「あのとき」が過ぎ去ってしまったら悲しみと苦しみだけが残ってしまった。

未来=来てほしくないもの、だった。

 

「今」の幸せは、今というこの瞬間は完璧ではないけれど、その不完全さを受け入れて生きていけるだけの力はあるから、小さな幸せをせっせと積み重ねることに喜びを感じる幸せだ。

未来=もっと幸せ、そして楽しみ。今=未来を想像し、創造していくための時間。

 

 

「あのとき」の幸せをもう1度得られるなら欲しい?

幸せの絶頂にたどり着けた経験は宝物だけれど、「今」を知っている「今」、過去に戻りたいとは思えない。

「今」が絶頂だと思ったら、「未来」が、生き続けることが怖くなってしまうから。

それに、せっかく積み重ねてきた日々、越えてきた月日をやり直すなんて、そんな面倒なことはしたくない。

 

過去に戻れないという現実に、「今」は心底感謝しています。

これからの残りの人生で、過去の失敗や後悔を挽回したり、失ったものを取り返したり、やろうと思えばできる。

そんな未来を私はつくる。

 

「あのとき」、好きな人に好かれようと頑張っている自分が好きだった。

「今」、何でもできると思える自分、やりたいことをやってしまう自分が好きだ。

幸せの絶対条件は「自分を好きになれること」だったんですね。