読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ゆー and みー with104

20代専業主婦の育児、生活、漫画と本の話。嬉しいことも苦しいことも笑いに変えて前向きに生きたい人へ。

『永遠の片思い』/みつはしちかこ『ひとりぼっちの幸せ チッチ、年をとるほど、片思いは深くなるね』

こんにちは☆母ブロガーKoriです。

カレンダーの日付を見ると、今日はもう2月21日。

あっという間に春が来ますね。

「あっという間に」という言葉を無意識に使って、ハッとしました。

あっという間?「やっと」の間違いじゃないの?って…

 

エアコンが壊れた1月には涙がちょちょ切れていたはずなのに…

どうやって冬を越えたらいいの?ただでさえ寒さに弱くて、うつの症状が出やすいのに…不安で悲しくて、イライラして仕方がなかったはずなのに、

私は自然に、「あっという間に」という言葉を使うことができました。

 

これはとても良い兆候。

明日は、「昔の私」にとって、とても大事な日なのです。

もう7年も前になるのか…人生でたった1度だけ、特別だった日。

みつはしちかこさんのエッセイで出会った『永遠の片思い』について思索したいと思います。

 

みつはしちかこ小さな恋のものがたり


中学生だった私は、家の本棚に並べてあった『小さな恋のものがたり』を何気なく1冊、手に取りました。

そして、夢中になって、どんどん、どんどん続きを読みました。

 

小さくてやせっぽっちの女の子チッチと、長身の野球少年サリーのものがたり。

 

たいていの人が見過ごしてしまうような小さな花の名を、ひとつひとつ呼ぶチッチ。

ゆっくり、ゆっくり流れていく雲のペースで、チッチの道草に同行すると、命あるものすべてを愛おしく思えそうな、優しくて温かい気持ちになれる。

花も草も、太陽も雨も、チッチの小さな手足も、笑った顔も涙も、全部、私は大好きでした。

 

チッチはサリーが大好き。サリーにとってもチッチは大事な女の子。

でも、ふたりは恋人にはなりません。

この距離感、まさに『小さな恋』に、胸がきゅうっとなる。

目の奥が熱くなる。

中学生のときでさえそうだったのだから、

今読み返せばきっと、もっと、もっと『深く』、心の奥に染みていくのでしょうね。

 

 

『ひとりぼっちの幸せ チッチ、年をとるほど、片思いは深くなるね』

この本との出会い

私がこのエッセイを読んだのは、記録によるともう5年近く前らしい。

え?そんなに前のことなの?信じられない!

ほんの1年くらい前に読んだ本だと思っていました。

それくらい、はっきりと覚えています。

 

このエッセイと出会ったのは、私が人生で最も辛かった時期でした。

親に内緒で会社を辞め、今のアパートに独りで引っ越して、布団とトイレの往復さえまともにできなかった頃。

ごはんもまともに食べられず、ほんとに1日中、布団の中で寝たきり状態。

何とか力をふり絞って、妹の家まで行き、やっぱりぼんやりと布団で眠りながら毎日を過ごした。

ちょっとごはんの買い物に行って、適当にごはんをつくって妹に食べさせるくらいに回復したときでも、私は、テレビ以外の明かりと生活音、話し相手がいないと生きていけそうになかった。

 

その頃に読んでいたある方のブログで、この『ひとりぼっちの幸せ』というエッセイを知り、自分の足で本屋に行き、購入したのです。

 

チッチが描かれて50年。

夫も、サリーも、もういない。年をとるほど、片思いは深くなるね。

 

表紙に書かれていたこのフレーズに、私はとてもショックを受けました。

サリー(のモデル)は、もういない。

みつはしさんは、もう2度とサリーに会えないんだ。

それでも、サリーを描き続けているなんて…

もうこの世にいない人への『永遠の片思い』

チッチとサリーの『小さな恋のものがたり』が、『永遠の片思い』というテーマを持っていたことを、私はこのとき初めて知りました。

 

生きてさえいれば、もしかしたらまた会えるかもしれない。

私にとっては、そんなわずかな希望こそが『永遠の片思い』でした。

その小さな希望が消えてしまうことは、悲しみや無念でしかないと私は思ってしまう。

でも、みつはしさんの『片思い』は、私が想像できるところのその先まで続いていて、

本当に、本当に『深く』、本当の意味で『永遠』なのだなぁと、そこにたどり着くためには、私はもっともっと年を取らねばばらない。

 

夫がいても、いつだってサリーは心の中にいて、漫画の中でチッチの心を揺さぶっていたんだ。

 


本当に「幸せ」なの?

タイトルに「幸せ」という言葉を含んでいるにも関わらず、エッセイの内容は壮絶だった。

みつはしちかこさん自身が、長い間うつで苦しんでいたということを知りました。

本当に「ひとりぼっち」で「幸せ」なの?

 

このエッセイの中にある「幸せ」を見つけるには、まず、「幸せ」って何だろう?という問いに向き合わなければなりませんでした。

 

エッセイを読んだ当時の私は、仕事、才能、お金に恵まれていること、健康で、何でも望みが叶ってしまうこと、他人にどんなに迷惑をかけても何の報復も受けずに、いい思いをしているような人が心底羨ましくて、そんな人を「幸せ」な人だと思っていた。

 

私にとって、みつはしさんは、絵やことばを美しく紡ぎ、たくさんの人を幸せにする力のある人だった。自分の手で、愛される作品を生み出すことができる「幸せ」な人。

 

そんな方の苦悩を知った。

でも、その苦悩が、「今」の思いやことばに深みを与えているのだと綴られています。

 

あずきを自分のこだわりでぐつぐつ煮る。

それをみんながおいしいと言ってくれる。

 

夫も、チッチもいない「今」の幸せは、寂しさが陰っていて切ないけれど、どこまでも温かい。

たぶん、私が涙とともに甘ったるいココアをごっくんと飲み込んだときのように、甘じょっぱくて冷たくて、温かいのだと思う。

 

『雨の中でもダンスダンス。』

私は、隣の青い芝生ばかりを見ていた。

 

隣の青い芝生を見ずに、自分の人生という箱の中だけの小さな幸せを楽しむ気持ちは、手のひらのなかに1匹の蛍をいれて、そのおしりのぼんやりとした光をそっと覗くのと似ている。

 

昔の私が残していた感想を引用。

今の私には思いつきそうにない例えだ。

すごくよくわかるんだけれど、クサくて拙い。

ぼんやりと地味で儚い、でも守りたいと思える、自分だけの大切な幸せを感じたい。

 

雨の日、寒い日に、家の中でごろごろしながらおしゃべりできる誰かがひとつ屋根の下にいて、一緒に温かいお茶を飲む。

ゲームをしながら大声で笑う。

きれいな花を見て、かわいいなぁと感じる。

些細なことに気づいて、喜びを感じる。

 

『雨の中でもダンスダンス。』このことばが導いてくれた私の幸せ。

「あのときの幸せ」とは違う座標軸にいる私の幸せ。

ぽつ、ぽつ、ぽつとぼんやり光る小さな幸せを見つける自分の感受性、気づきを与えてくれる誰かの存在、あぁ、私は今「幸せ」なんだ。

 

『永遠の片思い』

チッチにとってサリーは、いつもそばにいる空気のように当たり前の存在に見える。

でも、実際は遠い。ふたりの間にある越えられない壁はいったい何?

チッチよりもサリーに近い存在なんているとは思えないのに、読者視点から見ても、ふたりはやっぱり遠いなぁと思う。

そんな絶妙なふたりの距離感を表現できるみつはしさんには脱帽。

それはみつはしさんが、自分自身の『永遠の片思い』を大切に持ち続けているからこそ描けたのだろうと、私は思います。

 

私のなかにある片思いも、これからもっと深くなっていくのだろうか。

今はまだ、「人妻でも恋したい!」そんなミーハーで軽い響きしか持っていないけれど、これから先、たくさんの新しい出会いがあって、「恋」もするのでしょうか?

それもまた楽しみのひとつではあるけれど、私はまた思い出すのでしょう。

若かりし頃の、たった1度だけの恋を。

それはきっと、「永遠」で、命の終わりまで時折思い出しては心にしまう「深い片思い」。

そうまさに、今日のようにね。

 

 

 こちらもぜひ

 

yu-andmi-104.hatenablog.com