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ゆー and みー with104

20代専業主婦の育児、生活、漫画と本の話。嬉しいことも苦しいことも笑いに変えて前向きに生きたい人へ。

0歳~1歳くらいから英語教育についてどう思う?と聞かれた私の答えは「親のエゴ」

こんばんは☆母ブロガーKoriです。

 

私の娘、みーみーは、絵の具遊びを通して色の名前を覚えるようになりました。

難しい単語は省略に走りがちなのですが、ひとつひとつの名前を覚えるスピードは格段に上がっています。

ノンタンの絵本もことばに関心を持つきっかけに。夜の読み聞かせは、いつまで経ってもやめたくないのです。

 

言葉の敏感期かな?

「この時期に英語教育って始めることについて、Koriさんはどう思う?」

先日、いつもお世話になっているひろばのスタッフさんに尋ねられました。

 

私の答えは、

「自分も英語のイベントに連れて行った経験がありますが、

結局、それは、親の自己満足に過ぎないと思います。

子どもが、自分の意志で英語を学びたいと思ったとき、学べる環境を用意してあげるのが良いというのが私の持論です。」

 

私の周りでは、英語を習わせているママさん、一緒に通っているママさんが結構たくさんいます。

 

公園で遊んでいると、明らかに日本人の母子が英語で会話しているのをたまに見かけます。それも、1組ではありません。

 

子どもに英語を学ばせることに対する親の興味関心は高く、小さいうちから英語に触れている子どもはたくさんいるようです。

 

でも、

英語リトミックや英語の体験教室に行ったこともありましたが、

結局私はどちらもやめました。

今は、主に日本語で話しています。

それは、みーみーに伝えたい気持ち、理解してほしいと思うことを話すとき、

真っ直ぐに伝わる言語は日本語だと思うからです。

 

 

日常生活で英語を使う意義は?

私の思考回路は、留学時代は英語よりなこともあったけれど、今はもう完全に日本語。

みーみーに伝えたいことって、私の場合は良くも悪くも反射的に出てしまいます。

 

「それはやめて!」「ちょっと待って!」「危ない!」

 “Don't do that!” “Wait a minute.” “Watch out!”

 

咄嗟に言える簡単な表現さえ、違和感があります。

滑稽というか、それ、わざわざ英語で言わなくても…って思ってしまうんです。

赤ちゃんのときは、イラっとして怒ってしまいそうになったときに、英語を使うことでワンクッション置くことができたので、

ひどいことを言ってしまいそうになったときは、オブラートに包む気持ちで英語で怒ってみたこともありました。

 

でも、今同じことをしてしまうと、

英語で話す=英才教育になってしまうなぁと感じるのです。

 

だって、日本人同士の親子間で必要性ゼロじゃないですか。

わざわざ英語で話しかけたり、英語を教えようとするのは親のエゴだなぁと思うのです。

 

リトミックで覚えてきた歌や手遊びを家でやったり、

英語の絵本を読んだりするときはあります。

英語を習得させたいというよりは、日本語とは違う「音」にちょっと触れる。

メロディや踊りが楽しいからやっているという感じです。

 

まだ、これは「英語」これは「日本語」という区別がないので、両方教えると発音しやすい方で覚えています。

りんごはapple、鳥はbirdなど。

ちょっとちゃんぽんですが、まぁそのうちわかってくるでしょう。

 

リトミックや英語教室での違和感

リトミックについては、過去に記事を書いています。

 

yu-andmi-104.hatenablog.com

 家で楽しめるだけのコンテンツを私が習得できたので、

お金を払って学びに行く必要性がなくなったのです。

そして、みーみーは、歌と踊りは好きだけれど、集団生活は苦手。

この時間はこれをしよう!と課題を出されるのが嫌いなタイプなので、

同じ月齢の子たちが手を動かして踊るようになってきても、ずーっと指しゃぶり。

でも、家では他の子より上手に踊っている(笑)

だから、やるならおうちでいいやと思ってやめました。

 

 

より違和感を抱いたのは英語教室の体験。

1歳児になったばかりの月に行きました。

みーみー、2歳過ぎの男の子と女の子、1歳半の男の子、合計4人プラスそれぞれの母。

 

単語のインプットをかなり重視したアクティビティで、ゲームやクイズ形式が多かったです。

 

色のついたカードを見せられ、blue, red, yellowと提示されます。

“Which is blue?” と尋ねられ、正解のカードを選ばせる。

 

当然、1歳児にはできません。

そのゲームのルールや秩序さえ理解していないのですから。

2歳児ふたりはまぁまぁできていましたが、それで正解して褒めて…

有頂天になっているのは親。

 

なんかバカバカしいなって。

 

例えばその場で、みーみーが偶然にも正解のカードを手に取ったとしても、私はそんなに喜べないし、大げさに褒める必要性も感じない。

 

できるだけたくさんのボキャブラリーをインプットする、という意図でしっかりプログラムが作られているのは理解できるけれど、私はそれに何の面白味も感じなかった。

 

だから、やめました。

 

これが、無料のイベントだったら暇つぶしにちょうどいいんですけどね。

お金を払って受けるものではないと判断しました。

 

もっと大事なことが他にあると思ったら、そんなところに行っている場合ではない。

リトミックも英語教室も、なんだか形式だけの薄っぺらいプログラムに見えてしまうんです。

その時間の枠組みの中で、子ども自身が体験できる内容があまりに乏しい。

 

例えば、「英語でアート」というテーマのクラスがありました。

最初は色に関連する歌や絵本の読み聞かせ。

色の名前を英語でインプットからのお絵かきというプログラム。

プログラムを提供する側の準備として、前半は悪くはない。

 

でも、後半。道具も色も時間も制約があり、自由度が少ない。

前半で学んだ英語が少しも生きてこない。

 

おうちで絵の具を出してやって、好き勝手やらせながらの方がずっと言葉の習得につながっています。

子どもの興味関心に寄り添い、できる限りやらせてあげて付き合う。

私はそんな時間をより大事にして、そこから自然と言葉が生まれてくる方がいいなぁと思っています。

 

週に2回プールに付き合わせてしまっているので、せめて他の日は、あれはダメ、これもダメと言わずに、みーみーの意志を尊重したい。

 

だから、英語、やめました。

 

私自身の英語への興味関心がなくなったわけではないのですが、当分英語の出番はなさそうです。