panda life

白も黒もどちらも私。20代専業主婦の育児、生活、漫画と本の話。

今、何かを捨てなければ、私は何も始められない。

ぐだぐだしながらやっと満開になった公園の桜は、2日間の雨に耐えつつもあっという間にみすぼらしくなってしまった。

咲きたてほやほやの桜は強いのか、雨に臆せず淡いピンクをこんもりさせている。

本当はあの木の下をくぐって、ほんのり甘酸っぱい花の香りを感じたいのだけれど、きっと大粒の雨に打たれ、冷たい思いをするのだろう。

そんな感じで、あっという間に4月も3分の1が過ぎようとしている。

気持ちを改めるべき始まりの月なのに、まだ何も始まっていないような、いや、むしろもう終わってしまったような重く、ぼんやりした気持ちだ。

そう、今の私には、重すぎるのだろう。
これからやりたいこと、やろうとしていることがきっと多すぎる。

どれも中途半端で終わってしまいそうなフラグしか立っていなくて、じゃあどれかひとつに絞ればいいのに、始めることをどうも恐れているようだ。



『何かを変えるためには何かを捨てなければならない』

『何も捨てることのできない人は何も変えることができない』

じいちゃんの葬式に行って帰ってきた私がこの数日何をしていたのかと言うと、

惰性でラブライブ!をやり、

4か月に1回の楽しみである『進撃の巨人』の新刊を2度読み、

録画したまま見ていなかった『クズの本懐』をまとめ見して、

おそらく今晩で全部見終えるだろう。

今朝、久々にプールで身体を動かし、昼食と洗濯を済ませて、小遣い稼ぎのため1人電車に乗って出かけるところだ。


私が捨てるべきものは何だろう?
今、捨てるべきでないものは何だろう?

もう何日もこの問いと向き合い、結論を出すのを後回しにして、柄にもなくダラダラ過ごしている。


じいちゃんが見たらがっかりするだろう。

化粧されて、蝋人形のようにきれいな顔をしたじいちゃんが、小さくて脆い骨だけになってしまったのを見たとき、私はすんなり、この世から送り出して良いのだという気持ちになれた。

この世ですべてを成し遂げた人の姿だと思った。
何か一言声をかけるならば、「お疲れさま」

同時に、他の人の死まで考えてしまった。
孫が祖父を見送るのは自然だけれど、この世界のどこかには、あってほしくはないけれど、その逆もあるんだと思ったら、怖くてたまらない。

こんなふうに遠い目で、ぼんやりと亡骸を見つめることができない別れが間違いなく存在するのだ。



主人公が幸せになれない物語がある。

無駄だと思ってしまうほどの犠牲を払って、たった1人を幸せにする物語もある。

それは、フィクションだけでなく、現実でも同じ。


私にわかるのは、自分を捨てるという決断をした人の最期が後悔であるというだけ。

でも、自分のために、人間性を捨てることができるか?友達、家族を捨てることができるか?

幸い私が捨てるべきものは、これほど大きなものではないのだけれど、人間いつ死ぬかわからないと思うと欲が出てしまう。

自分のことばかり考えていたら、みーみーのことを忘れてしまいそうだ。
3月30日、初めてアンパンマンのことをアンパンマンと言い始めてから、急におしゃべりが発達。

全部捨てちゃって、育児に没頭するのもアリだ。
トイトレに食育、一緒に何か作ってみるとか、楽しく、親子の絆を深めて理解し合うのも大事。

そろそろ、会いたい人に、会いに行こうと思う。
こんなに悩んだときは、直観で誰かに会いに行くのが1番だ。