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ゆー and みー with104

20代専業主婦の育児、生活、漫画と本の話。嬉しいことも苦しいことも笑いに変えて前向きに生きたい人へ。

通るべき道、たどり着きたい場所

本物に出会いたい、出会わせたいというのは、

親の愛か、エゴか。

エゴだと言うのは酷だと思う。


だって、きっと真面目な親ほど、

エゴと言われたら悩んでしまうし、

「本物を見たい」という自身の欲求を抑え込んで

我慢することになってしまうから。


動物園に行きたい、

水族館に行きたい、

それは、単に、

家族サービスをして良い親気取りしたいだけではないはずだ。

自分だって、童心に返って、非日常的な1日を楽しみたい、

そんな気持ちだってあるのだ。


でも、子どもは、

目の前にあるものがすべてで、

遠いところにある面白いものなんてどうでも良いのだ。

雑草が生い茂る団地の空間や、

草花が並んで立っている道路の隅っこに、

しゃがんで何時間でも居すわることができるのだ。

たんぽぽやカタバミの黄色、

てんとう虫の赤、

蟻の黒、

イヌノフグリの青が、

無造作な緑のあちこちから顔を出しているのを
子どもと同じ目線で見ていると、

工藤直子の『のはらうた』を思い出す。

小学校3年生のときと、中学校1年生のとき、国語の教科書に『のはらうた』が載っていた。

他の詩も読みたいなぁ、
他にはどんな仲間がいるんだろう?

好奇心をくすぐられ、わざわざ買って読んだ詩集。



のはらうた(全6冊セット)

のはらうた(全6冊セット)



みーみーがもうちょっと大きくなったら、
一緒に楽しみたい。



思い通りに行動してくれないのは当たり前。

そんなふうにうまくいかないプロセスを楽しむ余裕が、またなくなってきてしまった。


どっちが幸せ?

例え話だけれど、

動物園の入り口前に、公園がある。

動物園に入りたいのに、子どもは公園で遊びたくてその場から動かない。


無理矢理動物園に連れていくか、

動物園は諦めて公園で満足するまで遊ばせるか。


私なら泣いても動物園に連れていくだろう。

最初は泣いても、入ってしまえばそれなりに楽しめるはず。


でも

うちの母は、後者を選んだのだ。

だから、私は上野動物園でパンダを見たことが1度もない。


いずれにせよ

自分のエゴを押し通した罪悪感と、

自分の希望が叶わないことで募る欲求不満との闘いは避けられない。

正解はないのだろうけど、

どちらにせよ後味は良くない。

私は根に持つから、その根っこをできるだけ早く裁ち切るために欲求不満を残さない選択をする。

でも

後で冷静になってみると、

ことばにならなかったみーみーの気持ちが、

みーみーの思いがわかってしまって、

ごめんね、と反省する。


ああ、「でも」ばっかりだなぁ…

聞き分けの良い子はつまらないなんてきれいごと。

聞き分けの良い子でいてくれるときの方がずっと楽しいよ。


わがままを言って、やるべきことをやらないで、

それで自分だけが痛い目を見るのならざまあみろ。

でも、子育てはそうもいかない。

本人にやってもらわないと、親も困るのだ。


歯磨きをしないで虫歯になられたら、

医者につれていかなければならないのは親だし、

痛いと泣かれ、なだめないといけない。

髪を乾かさず、風邪をひいたら、

夜泣きに付き合わなければならない。


手抜きをすれば、甘やかして楽をすれば、

全部自分に還ってくる。

だから、子育ては難しい。