panda life

白も黒もどちらも私。20代専業主婦の育児、生活、漫画と本の話。

環境が変われば人は変わる?/モンテッソーリ教室の体験を受けてみた

遊びに対してどうも受け身なところがあるみーみー。何でもかんでも「やって!」

お絵描きも砂遊びも、じぶんで楽しもうという発想に至らないのか、楽しませてもらおうという姿勢なのだ。

今まで、特にやり方に文句を言ったわけでも、怒ったわけでもないのに。

自分で楽しめないなら、違うことをやればいいのに。

自分の娘だけれど、理解に苦しむし、観察対象として面白くないし、成長も見られないのは楽しくない。

最近はそんな気持ちで娘に接していました。


ぷっつん。

「ねぇ、なんで私の嫌がることばっかりするの?」

約束を守らない。やる、やらない、はっきりしない。いわゆる反抗期。

やりたいことを自分でやって、やめたくないならまだかわいい。
やめたくないことが、やってほしいことだから厄介なのだ。


悪く言えば、受け身で消極的で面白味のない子、そのくせ、やめて!それをされたら嫌だよ、という行為は、ものすごく怒らないとやめない。

こちらだって怒りたくて怒っているわけではない。
怒るほど追いつめられるのだ。


良い見方をすれば、みーみーは用心深く慎重派。
じっくり観察して、ある程度特性をつかみとってからようやく動く。
外ではわがままを言わず、誰にでもニコニコする。
友達のものを取ることは決してしないし、友達が自分のものを使いたいときはきちんと貸せる子だ。

つまり、みーみーがわがままを言うのは私に対してだけ。わきまえている。

母親としては、その気持ちを受け止め、みーみーのペースに合わせてあげるべきなのだろう。

しかしながら、私には、自分に対して嫌なことをする人間に、優しくしてやれる器がない。それが自分の子どもであっても許せないものは許せないのだ。

変わるなら自分が変わるしかないのになぁ…と育児より育自の難しさを痛感している今日この頃。


モンテッソーリ教室の体験に行ってみたのは、受け身なみーみーが自発的に遊ぶところを私が見たかったから。

みーみーは遊べるのか?

体験なのでたった60分。

60分って、他のお教室よりは長い設定なので、
最初は「たった」なんて思わなかったのだけれど、
まだまだ遊び足りない様子で、観察していた私にとってもあっという間でした。

「好きなので遊んでいいよ。」

先生に言われたものの、何をどう使ったら良いのかわからず、教具を選べないみーみー。

「これはどう?」と提案されたのは、


蓋に穴の空いたガラスの瓶とビー玉。

ビー玉を穴に入れるというおしごと。

これにハマったみーみーは20分くらいそれを繰り返した。

「他のもやっていいんだよ」

次に出してきたのは

トングとお皿、バナナ、イチゴ、ブドウの消しゴム。
トングで消しゴムをはさみ、お皿にのせるというおしごと。

お皿はしきりがあって、種類別に分類できるようになっていたけれど、器からお盆にのせて終わり。

次はストローをコップの穴に入れるおしごとをやり、そのあとは、モールにビーズを通すおしごと。

どれも集中して取り組んでいて、母の顔なんて見ようとしない。

できなくても怒って投げ出すことも、いつものやって!もなく、一人で向き合っている。

ときどき先生の顔を見て、「やるから見てて!」と口では言わず目でアピール(笑)

最後はもう一度、ビー玉をとってきて、
他の教具のトングをもってきてビー玉を摘まむ。

そんなふうに自分でおしごとを発展させ、難しいものにしている様子も感心。

飽きることなく、終わりと言われてもまだまだやりたい。

私も時間で区切りたくないなぁと思ってしまった。


環境が違うだけで、大人の気の持ちようで、こんなに子どもは変わるんだ、こんなに自分の中のやりたい!と向き合えるんだ。

時間に縛られる生活、時計ばかり気にして、制限を与えるのは大人の都合なんだ。

安心して自分のやりたいことをできる環境、時間、空間をつくって、温かく見守れる親になりたい。

この興奮、高揚をとしおに伝えて、GWは思いきってこの部屋を大改装したい。残り少ないアパート生活でも、できるだけ、幸せに、温かく過ごせるようにしないと。