panda life

白も黒もどちらも私。20代専業主婦の育児、生活、漫画と本の話。

子どもに与えた自由の先を考える

子どもに何をさせたいか、親として子どもにどんな時間を与えたいかという観点ももちろん大事だけれど、その先、その活動を通して、子どもにどうなってほしいのか考えておくことも大事だと思う。


例えば、水泳を習わせる理由って何だろう?


水の事故に巻き込まれても生き残れるように?

目指せオリンピック?

友達づくり?

暇つぶし?

子どもがやりたいと言ったから?


目的があるのとないのとでは選択肢の幅も変わってくる。

溺れないように、泳げるようになってほしいなら水泳で良いだろう。子どもが興味をもって、自ら水泳を習いたいと言った場合も水泳でいい。

しかし、友だち作り、暇つぶしが目的ならば、ピアノ、バレエ、他にもたくさんの選択肢がある。


目的を満たすための選択肢が、たくさんあるかもしれないことに気づいたら、どうしてもAが良いとか、Aじゃないとダメという決めつけはなくなってくる。

選択肢が多過ぎても迷うけれども、選択肢が複数あったほうが、そのなかのどれかならどれでも大丈夫、縁を尊重しようと構えられるので、気持ちに余裕ができる。

自分にないものは他人に補ってもらい、他人に期待できないことは自分でどうにかする。このシステムが上手く回る場所こそが求めるべき居場所だ。


私が娘に求めることの1つが、マナーや礼儀である。

2歳児とはいえ、何をやっても免罪符がもらえる状況は許しがたいと思っている。

食べる前にいただきます、食べ終わったらごちそうさまを言う。

ありがとう、ごめんなさい、こんにちは、さようなら、挨拶も大事。

恥ずかしくて言えないときもあるけれど、気持ちだけは持っていて欲しいと思って育ててきたし、言えなくても本当は言わなければならないことはわかってくれていると信じている。

同じくらいの月齢の、他の子たちも、恥ずかしくて言えない子が多い。でも、言いたい気持ちがしっかりあると、言葉にはならなくても伝わる。その成長途中がとても可愛いなと思う。

この価値観は、普遍的なものではないのだろうか?中には言葉だけでなく、気持ちさえない子もいる。

自分の欲求が通って当たり前だと思っている子は、勝手に他人のものを取るし、貸してもらったらお礼を言うことも知らない。自分の思い通りにならなければ、ただ泣くだけ。

子どもの気持ちを尊重するとか、子ども主体の育児をしたい人は多いし、それが良いとされている風潮もある。

大人は介入すべきでない、口を出すな、見守って、喧嘩させろ、というのが基本のスタンスでもある。

確かに、いちいち大人が出ていくのもどうかと思うけれど、子どもだけで生きていける訳ではないのだから、見てるだけ~の親が必ずしも良いとは限らないよね?と思うのは私だけ?

最近の実話でいうと、ある飲食店で、子どもはそこの店の押し入れを勝手に開けてモノを出して遊んでいた。

お店の人に、それはやめてねと言われて、親がやめさせ、子どももやめたけれど、そもそも、勝手に他人の家の押し入れを開けて良いはずがないことは、家庭でしつけるべき問題ではないか?

お店の人がOKと言う前に、子どもが開けている時点でアウト。

そこにあった引戸を開けるのは子どもの自由として正当化して良いものではないと思う。

お店のトイレで水遊び。床が水浸し。
子どもが水遊びをしたい気持ちを尊重する?後で拭けば良い?

娘が座布団に座って食べていたとき、
「遊びに使いたいから貸してくれない?」という5歳児。
食べている途中で、正しい使い方をしている人からわざわざ座布団を奪おうとする気持ちに愕然としてしまう。この時点で思いやりに欠けてがっかり、自分の娘が他人にそんなことをしていたら悲しいのだけれど、敢えて口を出さないでみた。
「みーちゃん、どうする?」
嫌だと言ったら味方しようと思っていたけれど、すんなり貸してしまった。

食べ終わった後、その遊びの仲間に入りたくて、「いーれーて」とお願いしてもらった娘。入れてもらえず。

その子達が飽きて遊ばなくなった頃に、同じ遊びをしたくて真似していたら戻ってきて、それは私のだよ返して!と言われる始末。

せめて、ひとりでも味方になって一緒にいてくれる子がいれば良いのだけれど、残念ながらいない。

泣いたり怒ったりせず、争いを好まない娘は黙って諦める。

その鬱憤は、全部家の中で晴らすのだ。
折り紙を細かく細かく切り刻んだり、ひたすら抱っこを求めてきたり。


子どもを見守るって何だろう?自由の尊重、子ども主体の遊び、学びの場って何だろう?

好き勝手、思う存分やらせた結果、生まれるものは?いや、そもそも何を期待してやらせているの?

わからないな。子ども同士の問題は子ども同士で解決できた方が良いとは言うし、それも一理あるけれど、自分以外の人の気持ちを考えてみる時間は与えなくても良いの?ここで大人がひとつ問いかけなければ、子どもは気がつかないまま終わるんじゃないの?

まあ人生は長いから、先の未来で打ちのめされ、成長していくチャンスはあるだろうけど。

自由のなかで、思いやりを育てる、他人の気持ちを考える時間を、私は子どもに与えたいし、自分の気持ちを考えてもらえる時間も、気持ちに寄り添ってくれる人の存在も、感じながら生きてほしいと思う。その環境を見つけるのが自分の使命だ。