panda life

白も黒もどちらも私。20代専業主婦の育児、生活、漫画と本の話。

自分の器の小ささに気づかされる瞬間

他人に優しくできないとき、自分以外の誰かのために立ち上がる余裕がないときほど、自己嫌悪に陥ることはない。

人に優しくできないこと、それは何よりも悲しいことで、拭うことのできない後悔になる。

親になってから、そんな後悔の繰り返しだ。

何度も何度も腰を上げなければならない状況に陥ったとき、イライラが募るのはどうしようもないことだと思う。

イライラしつつも重たい腰を上げられる人と、できない人、この違いが大きい。

私は後者だ。見返りを求めることができたとしてもやりたくない。見返りがないことを知っていたら、当然できない。

娘はいつか、私に何も期待しなくなるだろう。私が絶対悪だと気づいて見限るのも時間の問題だ。

相変わらず成長できない私である。


でも、

他人に期待しない生き方も悪くはないかもしれないとも思う。自分が当然と思う、最低限の見返りがさえないときでも、期待していなければがっかりもしない。

人間関係って、お金じゃないと言うけれど、自分のために時間とお金を削った人に対して感謝を示すとき、それ相応のものを返さなければ誠実さは伝わらないと私は思う。

薄っぺらで、え?これだけ?とまだ当然何かもらえると思って待ってしまった自分だけが、ぽつんと残る、この瞬間こそが縁の切れ目だ。

これ以上、子どもにならないためには、口を開けない。不満の2つ3つ言いたくもなるけれど、言わぬが仏。

言わない美学を貫くには、何も聞かないのが1番。
これからは、必死に耳を塞ぎ、口にチャック。


後悔したくなかったし、がっかりしたくなかった。
後悔させられたくなかったし、がっかりさせられたくなかった。

がっかりしたことを言ってはならないのに、言いたくて仕方がない。言わないからいつまでも引きずるんだ。こういうずるずるした気持ちも最悪。

昔聞いた童話の鶴になったような、まさにおいしいものが目の前にあるのに届かないもどかしさは、モソモソの小さいショートケーキのように後味が悪くて、人の振り見て我が振り直せといつも思うのに、私も器の小さい女なのだ。



スパッと切って、潔く前に進みたい気持ち。