panda life

白も黒もどちらも私。20代専業主婦の育児、生活、漫画と本の話。

子どもの主体というけれど、子どもって誰なんだろう?という疑問と自主保育を選ぶ母の背景

今日も暑くて良い天気。関東地方では珍しい、カラッとした暑さ。みんなで海までお散歩に行きました。

冷たくて、でも冷たすぎず気持ちが良い海の水、つるつるの丸い石、さらさらの砂、新鮮で楽しかったみたい。

自由参加なので、メンバーが毎回微妙に違って、その度に雰囲気も変わるのが面白い。

今日はあまり、いじめられずに、自分のやりたいようにできたかな?

山モードで来た私はあんまり乗り気じゃなくて、付き合いが悪かったけど。


自主保育のあら探しをするつもりは毛頭ないのだけれど、今日ふと気になったのは、「子ども主体」「子どものペース」を大事にするが基本の自主保育だけど、「子ども」って、どの子?という点。


みんなである程度まとまって、一緒に遊んでいたら、「子どもたちみんな」のことだと言えるけれど、それぞれ個々に遊んでいて、お腹がすく時間も帰りたい時間も遊び方も違うとき、誰を基準に大人は次の行動を決めるのか、これってすごく曖昧じゃない?と思った。


お昼ご飯は12時ぴったりくらいに召集がかかってちょうどよかった。日陰で食べるか日向で食べるか、意見が分かれたけれど、それぞれ好きな方で食べる。


その後、私は失敗したなぁと思ったのだ。

食べ終わった後、もう一度海に戻って遊びたかった娘。でも、みんな着替えを済ませていて、食べ終わったら帰るという雰囲気だった。そして、いつも帰る前に絵本を読んでもらうのだけれど、その絵本を出しているのが見えた。


「今日はもう海はおしまいで、みんなで歩いて帰るんだよ。」

と説明した。

「やだ。みーちゃんは帰らない。」

ボソッと不満を漏らす娘。

「絵本読んでもらえるよ。」

と言ったのが間違いだった。それが嘘になってしまったのだ。

納得して歩き出した娘。でも、帰り道、みんなの歩くペースはバラバラ、立ち止まったり、座り込んだり、何か拾ったりで、解散場所に着いた頃にはもう遅い時間。そのまま「さようなら」になってしまった。


「絵本は?絵本は?絵本読んでもらいたかったのに…」とボソボソ呟く。


「遅くなったから今日は読めないんだって。」
静かに説明する私。


1番速く歩く子に合わせたら、絵本の時間もあったかもしれない。1番遅い子に合わせたらもっと帰りが遅くなったかもしれない。でも真ん中の子に合わせたわけでもない。

「子ども主体」でやっているのに、不満が出たら残念だなぁと思うけれど、それは子どもの行動の結果でもある。


娘は野外の活動も楽しんでいるけれど、歌や絵本も楽しみにしているんだなぁと気づかされた。娘ひとりがすたすた歩けば絵本が読めたというわけでもないだろうから、こういうときのタイムキープは大人の対応役割なんだろうなぁ。

時間に、ある程度の枠組みとリズムを作っておくのは大事かも。

誰がその役割を担い、どの子が基準になるのか。

特定の誰かを基準にすることには少々疑問を感じるけれど、特定の誰かが基準になって物事が進んでいるのは間違いない。


自主保育という選択をしたお母さま方数人に、なぜ自主保育を選んだのか聞いてみた。


最初から自主保育一択の方もいるけれど、幼稚園のプレや、園庭開放などに積極的に参加した上での選択の方も結構いらっしゃる。

子どもはどこへ行っても楽しそうに遊ぶけれど、親が見て、先生の言動に疑問を感じて、幼稚園を選ばなかったというパターンが多いかもしれない。


自由を謳っているけれど、なんか先生の説明がやたら長い気がする。


大人から見た「上手」という価値観を押しつけて、子どもの描いた絵にアドバイスをする。その一方で、大人から見て上手な子のことはすごく誉める。そのやり方に疑問を感じた。


なるほどなぁと思った。確かにいる、そういう大人。そういう人だけじゃないと思ってはいるけれど、実際にしっくりくる先生に出会えるかどうかは別問題なんだな。


自主保育に参加しながらそこに疑問を抱く私と、幼稚園を見て疑問を抱いて自主保育へ来た他の子のお母さん。出会って一緒に活動するけれど、向かう道は真逆かもしれないのもなかなか面白い。